名古屋地方裁判所 昭和28年(わ)2403号 判決 1969年11月11日
本籍 沼津市岡宮六百五十八番地
住居 名古屋市港区稲永新田字ぬ百七十九の一 稲永荘Cの四十八号
騒擾 団体役員 阿部こと 永田末男
大正八年二月二十日生
<ほか一一五名>
右の者等に対する各頭書被告事件につき検察官小山利男、同三井栄作出席の上審理を遂げ、次の通り判決する。
主文
一、永田末男
懲役三年に処する。
未決勾留日数中百日を右本刑に算入する。
一、渡辺鉱二
懲役二年六月に処する。
未決勾留日数中四百五十日を右本刑に算入する。
一、清水清
懲役二年六月に処する。
この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
一、芝野一三
懲役二年六月に処する。
未決勾留日数中五百日を右本刑に算入する。
一、加藤和夫、岩田弘、片山博
懲役二年に処する。
この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
一、崔秉祚、李寛承
懲役一年六月に処する。
この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
一、安俊鎬、姜泰俊、全正守、鄭再恢、鄭恢、山田順造、山田泰吉、李院承
懲役一年六月に処する。
この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
一、金炳根
懲役一年六月及び罰金二千円に処する。
右罰金を完納できないときは金千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から一年間右各刑の執行を猶予する。
一、方甲生、李聖一、梁一錫
懲役八月に処する。
この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
一、伊藤弘訓、水谷謙治、岩月清、多田重則
懲役十月に処する。
この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
一、安日秀、趙顕好、朴泰俊、李炳元、稲森春雄、張哲洙、宮村治、林元圭、朴柄采、林学、宮脇寛、金寿顕、李圭元、朴昌吉
懲役六月に処する。
この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
一、金英吾、趙在圭
懲役六月及び罰金二千円に処する。
右罰金を完納できないときは金千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から一年間右各刑の執行を猶予する。
一、南相万
懲役六月に処する。
この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
公訴事実中爆発物取締罰則違反の点は無罪。
一、尹華俊、田参竜、李日碩、尹鳳俊、田石万
罰金千円に処する。
右罰金を完納できないときは被告人を一日労役場に留置する。
この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
公訴事実中騒擾の点は無罪。
一、池田嘉輝、田島トミ代、中本章、朴寧勲、朴文圭、李永守、金優、田玉鎮、竹川登介、朴孝栄、朴寧国、吉田三治、呂徳鉉
罰金二千円に処する。
右罰金を完納できないときは金千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
公訴事実中爆発物取締罰則違反の点は無罪。
一、板坂完男、河泰文、近藤昭二、宋章憲、野副勲、水野裕之、井上信秋、姜禹錫、金点守、崔漢洛、高田英太郎、平井春雄、王洙性、金永述、纐纈伸二、酒井博、沈宜元、山口昭三、小野芳二、金順伊、小島進、杉浦登志彦、丁一南、丸山真兵、小朴清人、林與今、金仁祚
罰金二千円に処する。
右罰金を完納できないときは金千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
一、阿部政雄、金甲仙、宮川昭一、崔永権、杢野直二、安時煥、稲垣泰男、須田康弘、横井政二、趙国来、横江護、林行美、伊早坂竹雄
懲役三月に処する。
この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
一、安旭鎬、尹永浩、加納善生、金道弘、百々大吉、山田信也、李文星、吉川昇、竹中正典、張二京、河命順、鄭金石、深谷宜三、中島達哉、石川忠夫、森川美光
無罪。
理由
第一章 罪となるべき事実
第一節 騒擾発生までの経緯
第一款 帆足、宮腰両氏歓迎報告大会(以下七・七歓迎大会と略称)
開催の事情
前参議院議員帆足計、衆議院議員宮腰喜助等は、昭和二十七年四月頃から、第二次世界大戦後の日本人として初めてソビエト社会主義共和国聯邦(以下ソ聯と略称)及び中華人民共和国(以下中共と略称)を視察し、同年六月一日北京において、中共国際貿易促進委員会主席南漢辰との間で、日本と中共の人民間の往復六千万英ポンドの貿易協定を結んで、同年七月一日に帰国した。愛知県では東海産業経済調査所長伊藤長光が中心となって、ソ聯、中共の実状及び日中貿易の話を聞くため帆足、宮腰両氏の歓迎報告大会を開催することを計画し、あらゆる階層の人を網羅した世話人会を作って準備を進め、同月七日午後六時から同市中区門前町七丁目六番地大須球場で一般大衆を対象とした歓迎報告大会を行なうこととした。帆足、宮腰両氏は東京、大阪、神戸、京都等での講演を終って七月六日名古屋市に到着し、翌七日午後一時五十分から六時頃まで名古屋商工会議所で報告及び懇談会を行ない、午後六時五分頃大須球場に到着した。
第二款 被告人等の計画、準備
第一 六月二十八日
日本共産党名古屋市ビューロー(以下市Vと略称)は、名古屋市における日本共産党の非合法活動を行なう組織で、市V軍事委員は同党の軍事方針に従い同市における軍事組織を作り、指導し、軍事行動を準備し、実行するものであったが、市V軍事委員キャップ被告芝野一三、同委員被告人渡辺鉱二、同清水清、同金泰杏は県ビューロー軍事委員福田譲二と共に、昭和二十七年六月二十八日昭和区塩付通り六丁目十九番早川潔方名大生中村某の居室で、定例軍事委員会議を開き協議の上、
(1) 七月七日頃大須球場で帆足、宮腰両氏の帰朝講演会が行なわれるので、その機会を利用してデモ行進をし、軍事行動を行なう、
(2) その準備のため、七月二日頃再び同所で軍事委員が会合して更に打合わせの上、市Vに属する各細胞ブロックの軍事担当者を招集して会議を開き、軍事行動を行なうための決定を打出してゆく、
等を決定した。
第二 六月二十九日
市V政治オルグ被告人岩間良雄、千早細胞キャップ小林勝、大橋こと朴秉稷及び名古屋電報局(以下名電報と略称)細胞員被告人石川忠夫外二、三名が、六月二十九日午後七時頃から、中区養老町一丁目一番地三浦義治方で、Bブロック定例細胞代表者会議を開き、被告人岩間良雄が、六月二十五日の広小路通りのいわゆるP・X事件により名古屋における革命は始った、大衆はデモに声援を送るだけでなくそれに参加し、そして武器の足りないことを知った、この活動を労働者の中へ取り入れなければならない、七・七歓迎大会について、共産党は民族解放、経済危機突破、反戦、平和、反ファッショのアジア太平洋大会参加、吉田内閣打倒、日本共産党を守れ等を基本スローガンとして大会後にデモを計画しているから、できる限り労働者を参加させよ、電報労働者はR(軍事部担当者)の指導を受けデモ隊の一つの中核となれ、と説明指示した。
第三 七月二日
一 被告人芝野一三、同渡辺鉱二、同清水清、同金泰杏、前記福田譲二及び高木某は、前記六月二十八日の決定に基づき、七月二日前記早川潔方名大生中村某の居室に集まり、被告人芝野一三が議長となって、先ず中日貿易を実現する方法如何、中日貿易を阻害するものは誰か、大衆は武装を要求しているか等に関し討論の上、
(1) 中日貿易を阻害しているものは吉田政府とその官憲、直接には警察である、中日貿易を実現するためには大衆を動員してデモの形式で警察に抗議しなければならぬ、
(2) 中警察署(以下中署と略称)に抗議を行なうが、警察の抵抗が予想されるので、これを打破るため手榴弾、火焔瓶を使用する、
(3) 手榴弾、火焔瓶は各細胞等に製造させるが、その材料は軍事委員が支給する、
等を協議決定した上、軍事委員がそれぞれ下部組織に連絡指令することになり、被告人清水清は市V指導下のA、B、C三地区の内Bブロックへの連絡担当者に決まった。
二 市V・S部(総務)被告人加藤和夫は七月二日頃の午後中区東田町前衛書房で、V・S部員被告人水谷謙治に対し、
(1) 七・七歓迎大会後に一大デモ行進を行なう予定で、当日は名古屋市内だけでなく岐阜、尾西、東三河、西三河からも大衆が参加し、朝鮮人も参加するはずである、
(2) デモ行進をすれば警察の弾圧が予想され、警察と戦うことになるから、当日までにピケ組織を作って、大須球場を中心に中署、アメリカ村附近の警察の警備状況等を調査して報告せよ、
(3) 当日のピケ活動のため大須附近に家を借りて拠点とせよ、
(4) 名古屋市内の各警察署にピケを配置して情勢を報告させるから、被告人水谷謙治が取り纒めて報告せよ、
等を指令したので、被告人水谷謙治は明和高校細胞を中心として日本民主青年団(以下民青団と略称)明和高校班を動員しピケ組織を編成した上、情報の収集に当ることを決意した。
三 被告人渡辺鉱二は七月二日午後三時頃瑞穂区所在、在日本民主愛国同盟(以下民愛青と略称)瑞穂支部附近の三山某方で金億洙に対し、七・七歓迎大会当夜使用する手榴弾二百個分の製造材料として、直径四・五センチ、長さ六センチ位の鉄製パイプ、竹管、ゴムサック各二百個、硝石十キロ、硫黄二キロを用意するよう指示し、更に同月四日氏名不詳者及び同人を介して金億洙に対し手榴弾の製造を命じ、右両名は被告人安旭鎬、同趙大権、同李炳元及び金鶴圭等と共に、同日から同月六日夜までの間中川区尾頭橋徳利軒外二個所において、鉄パイプ、硝子管、硝石、硫黄、木炭を使用して手榴弾の製造に着手したが、火薬の性能が悪いためその製造を中止した。
四 被告人石川忠夫は前示第二記載の定例細胞代表者会議で被告人岩間良雄から受けた指示の内容を名電報細胞キャップ被告人片山博に報告し、同被告人はこれをレポに記載して、七月二日被告人多田重則外七名の細胞員に配布通達した。
第四 七月三日
一 民愛青は在日朝鮮統一民主戦線の傘下団体で、朝鮮民主主義人民共和国による朝鮮の統一と独立を目的とする在日朝鮮青年の全国的組織であったが、民愛青愛知支部は七月三日夜昭和区天白町大字島田字池場呉允瑞方で会合を開いて、民愛青県本部員金点竜、同愛知支部員被告人金点守、同沈宜元等十名が出席し、金点竜が朝鮮戦争による祖国の国民生活の困窮の状態等を説明した上、七・七歓迎大会終了後デモを行なうことになっているからこれに参加すること、デモをやると警察官と衝突するかもしれないから、その時は石を投げて人混みの中へ逃げること、警察官との衝突で怪我をするものがでるかもしれないから手拭を一本ずつ持って行くこと等を指示した後、協議の上、大会当日午後六時頃大須球場に集合することを決定した。
二 在日本朝鮮人愛知県乙女会(以下乙女会と略称)は、朝鮮人女性の向上と祖国の風俗習慣を学ぶことを目的とする十六才以上の未婚女性の組織であったが、被告人金静洙並びに李鍾順、裵胎今、黄具順、朴蓮玉等十余名の同会会員外数名の婦人が参加して、七月三、四日頃の午後、守山区守山所在の朝鮮人学校で救護の講習会を開いて、医師から骨折、出血多量、拳銃で撃たれた場合等の救護処置について説明を受け、それに引続いて李鍾順が、七月七日の大会終了後デモがあって警察との衝突が起こり怪我人がでるから、その救護のため今日医師から話があった救急用具を各自が用意して集まることを指示した後、被告人金静洙、李鍾順、裵胎今、黄具順等約十名が、右大会の夜警察官との衝突が起こることを予想して、救護班の編成について協議した結果、第一班班長を朴玉蓮、第二班班長を被告人金静洙とし、各班の班員を四名位で組織する二班を編成して、各自救急用具を携帯した上当夜大須球場に集合することを決定した。
第五 七月四日
一 民青団は反戦反ファシズムと民族解放人民民主主義革命のための労働者階級の指導に基づく労働青年を中心とする青年大衆組織であったが、民青団愛知県指導部キャップ吉田昭雄と同団明和高校班員被告人安藤宏、同岩原靖幸、同水野雅夫外四名が、午後三時頃から中区裏門前町一丁目岩田信市方で班会議を開き、吉田昭雄が右班員に対し、
(1) 七日夜はデモをやって警察に押しかけるが、民青団明和班もこれに参加する、
(2) デモにはプラカード、武器を用意せねばならないが詳細は追って通知する、等を指示した。
二 被告人岩間良雄に対し、
(1) 市Vは、七・七歓迎大会に関してBブロック細胞代表者会議を開くことを、
(2) 同軍事委員は、当日火焔瓶、手拭、包帯を準備することを、
各指示したので、被告人岩間良雄は、七月四日午後七時から東区筒井市場附近の穀物屋の二階でBブロック緊急細胞代表者会議を開くことを決め、Bブロック細胞代表者に出席するよう通知した。
被告人岩間良雄、同清水清、同石川忠夫、千種南細胞員朝鮮人林某、名電報細胞軍事担当者被告人山田順造、東邦保育園細胞キャップ同佐藤操、権竜河、小林勝外三名が、同日午後七時頃から前記穀物屋の二階でBブロック緊急細胞代表者会議を開き、林某が議長となって会議を進め、先ず、被告人岩間良雄が市Vの指令に基づき、中日貿易に関する北京協定を実現するには民族解放を成し遂げなければならないが、そのためには中日貿易を阻害している米日反動分子を排除すること、直接には国会解散、吉田政府打倒を目標とすべきであり、そのため七・七歓迎大会後にこれを要求する政治行動を組織することが共産党の任務である、と説明した上、
(1) 大会後デモを行なうが、細胞員は各自中心となり、大衆を両脇にしてスクラムを組みガッチリした隊列を作ること、
(2) 武器として火焔瓶を使用すること、
(3) 大会会場内の集合位置は、演壇に向って左側をAとして学生、朝鮮人、中央をBとして経営細胞、右側をCとして居住細胞等未組織労働者とすること、
等を指示し、次いで被告人清水清が、
(1) デモには細胞員全員武装して参加すること、
(2) 武器として火焔瓶、小石、プラカードを使用すること、
(3) 火焔瓶は各細胞において製造すること、
(4) 救急用具として手拭、包帯、三角巾、オキシフル等を用意すること、
等を指示した外、大衆動員のためポスター、ビラ等数千枚を作り各細胞が分担して配布すること、翌五日午後六時から東区白壁町七番地野村俊造方で火焔瓶製法講習会を開くことを協議決定した。
三 被告人石川忠夫、同山田順造は、前記第五の二のBブロック緊急細胞代表者会議で被告人岩間良雄、同清水清からなされた各指令の内容を二通のレポに記載して、七月五日に一通を、名古屋中央電報局で被告人片山博に渡して同局内の細胞員に回覧通知し、他の一通は、名古屋東電報局で被告人百々大吉に渡して伝達した。
四 被告人渡辺鉱二は、同月四日午前十一時頃瑞穂区川澄町三丁目十二番地岩田太助方被告人山田順造の居室で同人に対し、七月七日の行動に関して、
(1) 中日貿易は労働者が中心となって戦い取らなければならないが、それも共産党でなければ駄目だ、いかなる闘争も武器なくしては発展しない、
(2) 名電報細胞員は自分以外は少なくとも一人を参加させよ、
(3) この集会には火焔瓶二千個が持込まれる、名電報からの参加者は各人火焔瓶一個を持って参加せよ、瓶とガソリンは各自準備せよ、薬品は市V軍事部が支給し製法も教える、
(4) 中核自衛隊には火焔瓶よりもっと高度の武器を持たせる、
等を指令して、これを名電報細胞員に伝達することを命じた。
よって被告人山田順造はこの指令を七通の紙片に記載し、被告人多田重則に名古屋中央電報局で、被告人杉浦正康、同石川忠夫、同岩月清、同片山博、同百々大吉、玉置鎰夫に配布させた。
五 被告人清水清は前記第五の二のBブロック緊急細胞代表者会議の席上、被告人岩間良雄に火焔瓶製造原料の分配に関するレポを渡し、同被告人はこれを後記第六の四の火焔瓶製法講習会の際三浦義治に交付して、火焔瓶製造原料の受領方を指示し、被告人芝野一三は七月五日の隊長会議の際、民青団代表被告人山田泰吉に右同様火焔瓶製造原料受領のレポを渡して、その受領方を指示し、さらに同被告人は同日中村区泥江町二丁目七番地泥江会館で、小山栄三にその旨指示し、右各指示に基づき、翌六日午前九時頃から、かねて火焔瓶の製造原料である濃硫酸及び塩素酸カリウムを搬入してその分配場所に指定されていた熱田区六番町六丁目百三十二番地被告人丸山真兵方で、三浦義治、権竜河、小山栄三等がそれぞれこれを受取った。
六 祖国防衛全国委員会は朝鮮民主主義人民共和国の防衛を目的とし、日本共産党軍事委員と密接な連携を保って行動する在日朝鮮人の非合法組織の統一指導機関で、祖国防衛愛知県委員会(以下県祖防委と略称)同名古屋市委員会(以下市祖防委と略称)はいずれもその下部組織であったが、県祖防委キャップ被告人閔南採は、(1)、七月初頃東三地区祖防委キャップ被告人南相万に対し、同地区の青年を動員して同月七日正午までに祖防委本部に来ることを指令し、(2)、七月四、五日頃民愛岡崎支部事務所で、県祖防委部員柳政一を介して西三地区祖防委キャップ被告人姜泰俊に対し、七月七日大須球場で開催される大会に岡崎の青年三十名を動員し、一人に一個ずつの火焔瓶を持たせて午後四時までに民愛青名中支部へ集合することを指令したので、被告人姜泰俊は右指令に基づき、宮沢政雄と共に同月六日夜民愛青岡崎支部事務所で、被告人田玉鎮外八名位の同支部員等に対し、七日に大須球場で行なわれる帆足、宮腰両氏の中日貿易に関する演説会に民愛青は皆行ってくれと指示した。又被告人姜泰俊、同河泰文、同宮脇寛は、宮沢政雄、丸根こと李銈錫等と共に、翌七日同事務所で、濃硫酸、ガソリン、塩素酸カリウムを使用し、空瓶を利用して火焔瓶約二十個を製造した。
第六 七月七日
一 被告人芝野一三、同渡辺鉱二、同金泰杏、同清水清、名電報細胞軍事担当者同山田順造、名古屋大学(以下名大と略称)細胞代表同岩田弘、民青団代表同山田泰吉及び福田譲二外一名が、前記第三の一の七月二日の軍事委員の会合の際の決定に基づき、七月五日午後一時頃から六時頃までの間、昭和区塩付通り六丁目十九番地早川潔方名大生中村某の居室に集まって会合を開き(以下隊長会議と略称)、被告人芝野一三が議長となって議事を進め、協議した結果、
(1) 中日貿易の獲得のためには、労働者階級が中心となって主導権を握ることが必要である、この機会に名古屋の労働者階級の力を示すため軍事行動をとる、
(2) 中日貿易を阻害するものはアメリカと日本政府及びその手先である警察等の権力機関であるから、七月七日のデモは球場に近い中署及びアメリカ村を攻撃する、
(3) デモ隊の編成は学生、朝鮮人、自由労務者、一般の順序とし、学生が先頭で隊列を誘導し、会場内を渦を巻きながら行進して出来るだけ多くの一般聴衆をデモ隊列に参加させることとし、右隊列を組む便宜のため球場内を演壇に向って左からA、B、Cに区分して、それぞれの団体の集合場所を指定する、
(4) デモは球場より岩井通りに出て東進し、同通りと門前町通りとの交叉点(以下大須交叉点と略称)から左折北上し、本隊は中郵便局の丁字路で右折して中署を攻撃するが、朝鮮人部隊はそのまま北上してアメリカ村を攻撃し、攻撃後は隊列を崩さず後退して大須繁華街で人ごみにまぎれて解散する、
(5) 武器は火焔瓶、手榴弾、プラカード、竹槍とし、包帯代用として手拭を携行する、
(6) 七・七当日は会場三塁側スタンド上に朝鮮民主主義人民共和国国旗を立て、そこに軍事部(Y部)を置き、連絡の中心とする、
(7) 警察の警備力を分散させるため、朝鮮人が別動隊を編成して市内の巡査派出所を攻撃する、
(8) 警察の動きを探るため、学生の見張りを立てて中署及び球場附近に配置し、負傷者対策として朝鮮人側で救護班を編成する、
等を決定した。
二 被告人山田泰吉、同杉浦正康、同杉浦登志彦、吉田昭雄、小山栄三等は同日夜中村区泥江町三丁目七番地泥江会館内の清風寮に集まって民青団の会合を開き、民青団代表として隊長会議に参加してきた被告人山田泰吉が、隊長会議の結果を詳しく報告した上、民青団としての七日夜の武装行動の具体的実行方法を協議し、
(1) 民青団員は会場で青年共産同盟の旗のもとに集合する、
(2) デモの際の民青団の総指揮は吉田昭雄がとり、被告人山田泰吉は現場指揮者となる、
(3) 民青団は火焔瓶を使用するので、小山栄三に火焔瓶約三十個を製造させる、
(4) 各自手拭を持参する、
等を決定した。
三 被告人水谷謙治、同安藤宏、同竹川登介、同岩原靖幸、同水野雅夫外二名は同日午後二時頃から五時頃までの間、東区神楽町被告人水野雅夫方に集まり、被告人安藤宏が議長となって明和細胞会議を開き、被告人水谷謙治が、国民大衆は現在革命化の気運にあるので、共産党としては七・七歓迎大会後に、革命化の昂揚を図るため無届のデモ行進を行ない、火焔瓶で中署、アメリカ村を襲撃することを計画しているが、犠牲者がでるのを防ぎデモを成功させるためには、球場、中署、アメリカ村を中心とした警察の動きを調査して上級機関に報告する必要があるから、この任務を明和細胞で引受けてもらいたい、と説明指示した上協議の結果、
(1) ピケの組織は責任者を被告人安藤宏とし、民青団明和班員の高木庸吉外七名で構成する、
(2) ピケ要員は拠点を作り、球場、中署、アメリカ村を中心とした附近一帯における警察の動きを調査して被告人安藤宏に報告する、
等を決定した。
四 被告人岩間良雄、同山田順造、同加藤和夫、三浦義治、小林勝、権竜河の外、途中から被告人岩原靖幸も加わって、同日午後六時頃から前示野村俊造方二階で、火焔瓶製法講習会を開き、先ず被告人岩間良雄が、Bブロックは火焔瓶を五十位製造し、細胞員が各自一個を持って参加して貰いたい、と述べ、次いで権竜河が講師となって、薬瓶にガソリンを一、濃硫酸を三乃至四の割合で入れ、パラフィンで密封した上外側に塩素酸カリウムを付着させた紙片を巻きつけて糊付けする方法を説明して、火焔瓶二個を製造した。
五 被告人閔南採、県祖防委員崔秉祚、同李寛承、市祖防委キャップ同金泰杏、柳政一、民愛青県本部委員長李正泰、同委員金在根、同金永哲等が、同日午後七時頃から千種区吹上本町所在の民愛青名中支部事務所に集まり、前記隊長会議に出席して協議に参加した被告人金泰杏が、
(1) 七日の大会開催場所は大須球場に決定した、
(2) 球場内での各団体の配置場所について、
(3) デモ隊列の要所要所に中核自衛隊を入れる、
(4) 戦略目標は第一に中署、第二にアメリカ村とし、中署には名大生と自由労務者が行き、これを完全に包囲して占領し、アメリカ村には全朝鮮人が行って、ガソリンタンクと駐車場の自動車を攻撃する、
等右会議の結果を報告し、同人等はこれを諒承して、市V軍事委員等と共に七・七歓迎大会終了後、中署、アメリカ村を攻撃することを決定し、犠牲者を出さないようにするため、攻撃班はアメリカ村を攻撃した後、隊列に戻って中署とアメリカ村との分岐点まで引返して退避することを協議した。
第七 七月六日
一 被告人石川忠夫、同多田重則、同片山博、同山田順造、同百々大吉は、同日午前十時頃から千種区千種通り四丁目十三番地坂野仁一方被告人石川忠夫の居室で、被告人岩間良雄指導の下に名電報細胞指導部会議を開き、労働者階級が主導権を握って現在の政府を打倒しなければ中日貿易への道は開かれないとの結論に達した後、前記七・七歓迎大会終了後の名電報細胞員等の行動について、
(1) 当日の集合場所は球場バックネット前とする、
(2) 火焔瓶は各自一個ずつ携帯してデモに参加し、被告人片山博の指示に従って投擲する、
(3) 火焔瓶五十個を被告人石川忠夫方で製造し、当日同被告人と被告人多田重則の両名が球場へ持込む、
(4) プラカード二本、包帯、手拭、オキシフル、小石を携行する、
等を協議決定し、被告人岩間良雄はデモ隊の攻撃目標が中署、アメリカ村の予定であることを明らかにした。
二(1) 七月六日午後帆足、宮腰両氏を名古屋駅に迎えて広小路通りをデモ行進した後、前記清風寮で被告人山田泰吉が被告人杉浦正康に対し、七・七歓迎大会後デモ隊を中署に誘導して攻撃し、火焔瓶や手榴弾を投げる、火焔瓶は各自が持つが、その外に民青団から手榴弾班六名を出すことになっているので、その班長をやって貰いたいと指示した上、右被告人両名協議の結果、手榴弾班員として被告人池田嘉輝、同水野雅夫、同林学、仲野悟、小島耕之助を選び、別室において被告人池田嘉輝、小島耕之助、仲野悟に手榴弾班員となることを承諾させて、七日午後四時四十五分までに大須電停東行電車乗場附近に集合するよう指示し、被告人杉浦正康は被告人山田泰吉の指示により、同夜七時頃から瑞穂区名大嚶鳴寮で行なわれた名大細胞会議に出席した。
(2) 同日午後八時頃から、更に前記清風寮で、被告人山田泰吉、同杉浦登志彦、同張哲洙が集まって民青団指導部会議を開き、被告人山田泰吉が中心となって隊長会議の結果を説明した上、右被告人両名に対し、
(イ) 七・七歓迎大会後のデモの民青団の総指揮は、同日広小路デモで逮捕された吉田昭雄に代り被告人山田泰吉がとり、デモ隊の現場指揮者は被告人張哲洙とし、同杉浦正康はその補佐となる、
(ロ) 朝鮮人部隊はアメリカ村を攻撃する、
(ハ) 民青団は火焔瓶で中署を攻撃し、手榴弾も使用する、
(ニ) 火焔瓶は小山栄三が準備するから、被告人張哲洙が水主町でこれを受取り大須球場内に持込む、
等を指示した。
三 被告人渡辺鉱二、同杉浦正康、渡辺修外二、三名及び名大細胞統一指導部島崎某から、デモの際の学生の指導者となるよう指示を受けていた被告人岩田弘が、同日午後八時頃から前記嚶鳴寮の被告人渡辺鉱二の居室に会合して、先ず被告人渡辺鉱二が、
(1) 七・七歓迎大会後のデモの目的は、七月六日の広小路デモ弾圧に対する中署への抗議デモである、
(2) このデモの軍事的意義は、大衆に自分達の要求を実現するためには警察官を排除しなければならず、それには武器を持たねばならないということを理解させる点にある、
(3) 警察官の棍棒に対してはプラカードで戦い、不利になれば火焔瓶を投げ、警察官がピストルを発射すれば手榴弾数個を投げる、
と指示した上、協議に入り、
(1) 大会後デモを行なうため、被告人岩田弘と渡辺修が聴衆に対してアジ演説を行なう、
(2) アジ演説をきっかけとして、各中核隊がオタマジャクシ形にスクラムを組んでこれに大衆を結集し、場内を、二、三回廻り、隊列を結束してから場外へ出る、
(3) 中署玄関で代表が抗議し、そこで戦闘が行なわれるだろうが、結局は中署到達前に警察官と対峙することになるだろうから、その時は被告人渡辺鉱二の指示した前記方法により戦う、
(4) 各指揮者は手榴弾の投擲を合図にデモ隊の解散を命じ、大須繁華街の群衆の中に入る、
等を決定した。
四 被告人加藤和夫は七月六日午後二時頃前記前衛書房で、被告人水谷謙治から、明和細胞を中心とする民青団明和班が大須球場、中署、アメリカ村周辺の情報を収集することになった旨の報告を受けた後、同日午後五時頃レポーターを介して同被告人に対し、中区裏門前町二丁目十六番地伊藤明人方でピケからの情報を収集して、これを後記平松達典方の中間機関に報告すること、中間機関は更にこれを加藤陽之助方の指導部(後に後記千田病院内に変更された)に報告する旨を指令した。一方民青団明和班は同日被告人安藤宏をキャップとするピケ班を編成し、七日のピケの拠点を昼間は中区矢場町河合俊祐方、夜間は同区末広町谷沢光治方と決定した。被告人水谷謙治は翌七日同岩原靖幸を介して同安藤宏に対し、正午からは一時間毎に伊藤明人方に情報を報告するよう指示した。
五 被告人永田末男、同加藤秀夫、三輪秀清等は、七・七歓迎大会当夜の群衆を煽動して中署、アメリカ村を攻撃させる目的をもって、七月六日夜熱田区中央市場前電停西方の味噌屋で、(イ)、「会場の同志諸君」と題し、「中日貿易をやらせないのはアメ公と吉田だ、敵は警察の暴力だ、中署え行け!!敵の正体はアメ公だ、アメリカ村え行け、武器は石ころだ!!憎しみをこめて敵に力一ぱい投げつけよ、投げたら商店街え散れ」との文言のあるもの、(ロ)「会場の労働者諸君」と題し、赤松勇、寺門博を誹謗した文言のあるもの、(ハ)、右両者を表と裏に印刷したもの等、アジビラ数千枚を伊藤育夫等に印刷させた。
六 被告人金泰杏の指令により、(イ)、民愛青名中支部員青年行動隊長の金鶴圭、被告人趙顕好、同金英吾、同崔永権、金茂一は七月六日夜、(ロ)、金鶴圭、被告人金英吾、同安日秀、同趙大権は翌七日午前中、いずれも七・七歓迎大会後のデモ行進の際に使用する目的で、中区千早町愛知陸運株式会社附近の硝子工場において、濃硫酸、ガソリン、塩素酸カリウムを使用し、薬瓶等を利用して、それぞれ火焔瓶約二十個宛を製造して同所附近の崔南雪方に預けた。
七 同日被告人石川忠夫の居室で行なわれた名電報細胞指導部会議に引続き、午後二時頃から午後十一時三十分頃までの間、同所において、被告人山田順造、同石川忠夫が中心となって、被告人片山博、同岩月清、同伊藤弘訓、同吉田三治等が順次手伝い、濃硫酸、ガソリン、塩素酸カリウムを使用し、ポケット用ウイスキー、ペニシリン、一合入り清酒等の空瓶を利用して、合計約三十五個の火焔瓶を製造した上、翌七日夕刻被告人多田重則及び同吉田三治の両名が、内約二十五個を先ず球場近くの中区裏門前町三丁目八番地飲食店都築その方まで運び、更に同所から右両名に被告人岩月清、同中本章を加えた四名が、球場内バックネット附近まで持込み、被告人石川忠夫は火焔瓶約十個を前記自宅より直接右バックネット附近まで持込んだ。
八 三浦義治及び権竜河は、七月六日午前十一時過ぎ頃から、中区東陽町一丁目四番地三浦すみ子方で、濃硫酸、ガソリン、塩素酸カリウムを使用し、薬瓶、アルコール瓶等を利用して、三浦義治は十一個、権竜河は二十五個乃至三十個位の火焔瓶を製造し、三浦義治は翌七日夕刻、内五、六個を大須球場へ持込んだ。
第八 七月七日
一 同日午前中、被告人山田泰吉は清風寮で、被告人杉浦正康から前記第七の三の名大嚶鳴寮の会合の結果の報告を受け、同人と協議して民青団での手榴弾携行者を北島万次と決定した上、被告人杉浦正康に対して、火焔瓶は球場内で被告人張哲洙と協議して分配することを命じた。次いで小山栄三から火焔瓶二十数個を製造した旨の報告を受けたので、同人に対し、火焔瓶は水主町から手提鞄に入れ女子学生に携行させて場内に持込むことを指示した。被告人張哲洙、同朴昌吉、同呂徳鉉は小山栄三及び仲野悟と共に、小山栄三、仲野悟等が製造して持参した火焔瓶二十数個を、同日午後五時頃中区岩井通り一丁目岩井橋から球場内に持込んだ。
二 被告人金泰杏は前記隊長会議の協議決定に基づき、七月七日夜の警察警備力の分散を図るため、鶴舞公園内駐留軍駐車場の自動車及び東税務署又は民団事務所を攻撃することを企図し、同日午前名中支部事務所で前記金鶴圭に対し、名中支部員は別動隊にまわって右公園内駐留軍自動車を火焔瓶で攻撃することを指示し、又同日午後一時頃同事務所で民愛青瑞穂支部員被告人金炳根に対し、火焔瓶四個を渡した上、名東支部の被告人安俊鎬に、大須のデモを容易にするため、今夜九時頃民団事務所か東税務署かに火焔瓶を投入れて騒ぎを起こし、大須にいる警官隊を引きつけて警備力を麻痺させるように伝えて、右火焔瓶四個を渡すことを命じた。
三 被告人閔南採、同崔秉祚、同李寛承、同金泰杏、同南相万、同姜泰俊、同崔且甲、同梁一錫、金億洙等県、市祖防委員と各地区租防委キャップ等が、同日午後三時頃中村区国鉄名古屋駅西辛島パチンコ店二階に集合し、被告人金泰杏が同夜の行動について、
(1) 講演会終了後デモを行ない、中署、アメリカ村を攻撃する、
(2) デモは学生、朝鮮人、一般労働者の順で行なう、
(3) 学生は中署を包囲して火焔瓶を投げつけ、朝鮮人はアメリカ村へ行ってガソリンスタンドに火焔瓶を投げつけて繁華街へ散る、
(4) 球場内三塁側スタンド中央の朝鮮民主主義人民共和国国旗の下を連絡場所とし、被告人金泰杏がここに位置する、
(5) 各人は手拭を一本ずつ準備して軽傷は自分で手当し、重傷は医療班の手当てを受ける、
(6) 被告人金泰杏は朝鮮人デモ隊全部の指揮をとる、
等を説明して全員これを承認した上、さらに被告人金泰杏は、前夜被告人閔南採から指示されたところに基づき、朝鮮人デモ隊の指揮者は第一隊が被告人姜泰俊、第二隊が金億洙、第四隊が被告人崔且甲とし、(第三隊は不明)、被告人南相万は第二隊の副隊長とすることを提案し、集まっていた前記被告人等は討論の結果その通り決定した。
四(1) 被告人閔南採は七月七日午後一、二時頃前記泥江会館で、東三地区から来た被告人南相万、同梁一錫、同林元圭、同朴孝栄、同李永守、同朴正熙等に対し、今夜の講演会終了後、昨日の帆足、宮腰両氏歓迎デモで逮捕された者を救出するためデモを行ない、一隊は中署へ、他の一隊はアメリカ村へ行くが、警官が弾圧するだろうから、こちらは火焔瓶を投げつける、と指示した。
被告人南相万、同梁一錫の両名は前記三の辛島方で行なわれた祖防委員等との会合から泥江会館に帰って、午後四時三十分頃東三地区から来た被告人林先圭、同朴孝栄、同李永守、同朴正熙に対し、今夜の大会終了後のデモに火焔瓶を持って参加し、アメリカ村へ火焔瓶を投げつけること等、辛島方における協議の結果を伝え、右被告人等は同所でいずれも火焔瓶二個を受取って大須球場へ赴いた。
(2) 被告人姜泰俊及び金億洙は、前記辛島方で行なわれた祖防委員等との会合に出席した後の午後五時頃名中支部事務所で、(イ)、被告人姜泰俊は西三地区から来た被告人田玉鎮、同河泰文、同朴寧国、同朴寧勲、同全炳煥、同金寿顕、同朴文圭、同方甲生、同李圭元、朴魯勲、全甲徳に金億洙を紹介して、今夜は同人の指揮に従って行動することを指示し、(ロ)、金億洙は右被告人等に対し、今夜の演説会終了後デモをやる、攻撃目標は中署、アメリカ村で、朝鮮人はアメリカ村へ火焔瓶を投げつけた後繁華街へ逃げよ、と指示を与え、同被告人等は被告人姜泰俊及び金億洙から一個又は二個の火焔瓶を受取って大須球場へ赴いた。
五 被告人安藤宏は七月七日午前十時頃から午後九時三十分頃までの間、中区矢場町河合俊祐方及び同区末広町谷沢光治方を拠点とし、高木庸吉等八名を使って、大須球場、中署、アメリカ村附近一帯の警察官の警備状況を調査し、
(1) 中署前に自動車七、八台あり、同署屋上及び三階に警察官が一杯待機している、
(2) アメリカ村附近では鉄帽に警棒の二人一組の武装警官がパトロールしていて、その数は十五名位、
(3) 大須派出所には警官が三階まで百名位おり、大宝劇場南の小公園に警官が百名位おる、
(4) 上前津の春日神社に二百五十名位の警官がいて、その西側道路に自動車が三台ある、
(5) 伏見通りに沢山の警官がいる、
(6) 午後九時三十分頃東別院、松原小学校、大須小学校、アメリカ村、若宮八幡宮、上前津、前津中学方面には警官はいない、
等を探知して、自ら高木庸吉に命じて、これを前記伊藤明人方で被告人水谷謙治及び加藤和夫(但し被告人加藤和夫に対しては(3)、(4)、(5)を除く)に報告した。
被告人水谷謙治は被告人安藤宏から右報告を受けた外、被告人吉田公幸等から北、東各警察署等の状況の報告を受け、右伊藤明人方及び平松達典方で被告人加藤和夫にこれを報告し、午後九時頃被告人吉田公幸に命じて右(3)、(4)の事項を中間機関及び地下指導部に報告させ、更に午後九時三十分過頃には右伊藤明人方で被告人安藤宏に命じて、右(5)の事項を大須球場内三塁側スタンド附近の現地指導部に直接報告させた。
被告人加藤和夫は平松達典方及び伊藤明人方で、被告人水谷謙治及び同安藤宏等から警察の警備状況並びにアジビラ配布の状況に関する報告を受け、自ら又は被告人岩原靖幸及び同佐藤操を介してこれを地下指導部に報告した。
第九 指導部等の組織
以上のように計画された七月七日当日の行動については、地下指導部、現地指導部、中間機関が設けられ、地下指導部は当日の行動全般の指導に当るのが任務で、午前十一時頃から午後七時頃までは熱田区日比野町五十番地千田病院内に、その後午後十時頃までは中区蛭子町三十七番地クリーニング商小橋玄二方に置かれ、その構成員は市Vキャップ被告人永田末男以下市V員三輪秀清、同小林繁雄、同中島佐治郎の三名の外、後に被告人加藤和夫が加わり、その他に連絡員として被告人岩原靖幸、同佐藤操の両名がいた。現地指導部は当夜の現場における行動の指導に当るのが任務で、大須球場内三塁側観覧席中央部の朝鮮民主主義人民共和国国旗附近に置かれ、その構成員は市V軍事委員キャップ被告人芝野一三、市V軍事委員同清水清、同金泰杏、県祖防委キャップ同閔南採、同祖防委員同李寛承、同崔秉祚であった。中間機関は被告人水谷謙治等を介して末端の情報収集者から通報される警察の動静及び大須球場内の状況を地下指導部に報告するのが任務で、当日正午頃から午後十時頃までの間中区東古渡町一丁目四十四番地建具商平松達典方に置かれ、その構成員は被告人加藤和夫外一名であった。
以上に認定した通り、本件は日本共産党名古屋市ビューロー、同軍事委員が中心となり、祖国防衛愛知県委員会、同名古屋市委員会が参画して、計画準備したものである。
第三款 名古屋市警察本部(以下市警本部と略称)の警備態勢
市警本部と中署は七・七歓迎大会後、聴衆によって無届デモが行なわれる恐れがあると考え、その二、三日前より交通整理と秩序維持の目的で主として中署署員による警備計画をたてたが、前日の六日午後名古屋駅に右両氏を出迎えた百数十名が、駅前広場で歓迎演説会を開いた後広小路通りを無届の集団示威行進をしたので、警備に出動した警察官がこれを解散させた際、逮捕された玉置鎰夫が所持していた一通のメモに、「A←Y部RNo.1七月七日の帆足、宮腰集会における各人の任務について、七月四日発」、「この集会参加者全体として二千個の火焔瓶が持たれる、電報としては参加者は全部一個づつの火焔瓶を持って参加せよ、中核隊にはさらに高度の武器を持たせる」等の記載があったので、市警本部はこれを重視すると共に、その頃右大会終了後デモ隊が中署、アメリカ村を攻撃するらしいとの情報を得ていたことと、関西方面における両氏の歓迎大会後に混乱の事態を生じたこと、及び同年六月二十五日の中村県税事務所事件、翌二十六日の高田派出所襲撃事件等、名古屋市内で火焔瓶を使用した暴力事件が発生したこと等を総合して、七月七日夜は重大な事態になる恐れがあると考え、同月六日夜及び七日午前にわたり、本部長宮崎四郎以下各部長、公安部警備課長出原柴太郎等が中心となって、中署の前記警備計画を変更して新たな警備計画をたてた。
その計画によると
(1) 市警本部防犯部長早川清春を長とし、山口中隊(西署)、浅井中隊(東署)、神田中隊(北署)、山田(喜四郎)中隊(中村署)から成る合計三百六、七十名の早川大隊、中署長村井忠平を長とし、荘司中隊(中署)、山田(京市)中隊(熱田署)、上田小隊(昭和署)のほか、中署警備部隊から成る合計二百五十乃至二百八十名の村井大隊、名古屋市警察学校長富成守次を長とし、鶴田中隊(中川署)、近藤中隊(南署)から成る合計約二百名の富成大隊、市警本部公安部巡察課長青柳丹蔵を長とし、同本部警察職員四十数名から成る青柳隊で警備部隊を編成し、
(2) 早川大隊を初め中区栄交叉点東北角の旧日本銀行名古屋支店跡、後に上前津交叉点西北の春日神社境内に、村井大隊を中署に、富成大隊を初め中署、後に岩井通りと伏見通りとの交叉点(以下西大須交叉点と略称)より少し北方の伏見通り路上に配置し、デモ隊が岩井通りを東進する場合は上前津交叉点に至るまでに、本町通りを中署方面へ向う場合は同署西の中郵便局に至るまでに、岩井通りを西進する場合は伏見通りの線に至るまでに、南方へ行進する場合は東別院に至るまでに解散させることとし、青柳隊は予備隊とするということであった。
このようにして
(1) 早川大隊は七日午後六時頃、前記旧日銀跡に集結した後、午後八時過頃春日神社に到着し、村井大隊の荘司中隊は午後九時頃中郵便局と岩井通りとの中間の本町通りに面する個所に、富成大隊は午後八時三十分頃中署より西大須交叉点の少し北の宝生座西の伏見通りに、青柳隊は午後八時頃市警本部庁舎よりアメリカ村南側の道路上に各進出してそれぞれ待機したほか、同日になって市警本部交通課長更谷藤十郎が、本部職員で急ぎ編成された部隊を引率して、午後八時頃早川大隊が移動した後の前記旧日銀跡に進出した。
(2) 大須球場に集合する者、その所持品、球場内の状況、デモが行なわれた場合の状況とその参加者の確認等の情報収集の目的をもって、村井署長の指揮の下に、市警本部公安部警備課第三係長小林甲子雄を長とする三十数名、中署公安課警備主任白石春男を長とする十数名の各私服警察官が、午後三時頃から同七時頃までの間に球場周辺に配置され、中署公安課警備係山田太三は、部下三名と共に、午後四時過頃からデモ隊が球場を出終るまで球場南側に接する河合陽吉方二階にあって、球場内の模様をつぶさに観察し、又市警本部より同刑事部捜査課木村正を長とする十数名の捜査検挙班が、午後七時頃球場近くの岩井通りに配置され、これ等の各班から多くの情報が刻々に中署及び市警本部に報告された。
第四款 七・七歓迎大会の開会より騒擾発生直前までの経過
第一 大須球場内の状況
一 大会は七月七日午後六時四十分頃開会の辞で始まり、名古屋青年合唱団の合唱があった後、司会者伊藤長光の挨拶、帆足、宮腰両氏に対する花束贈呈があって、午後七時五分頃から政党、労働組合、所謂民主団体の代表者等十余名の挨拶が行なわれ、同四十七分頃から宮腰喜助の演説が開始されて、八時三十分頃終了し、同三十八分頃から帆足計の演説が開始されて、九時四十七分頃終了したが、右終了時の聴衆は凡そ八千名乃至一万名に達していた。
二 その頃には大須球場内に多数の旗、プラカード、竹や木の棒、火焔瓶等が持込まれ、又多数のビラが配付された。即ち
(1) 場内各所に赤旗十本位、三塁側スタンド等に朝鮮民主主義人民共和国国旗二、三本があり、
(2) 「帆足、宮腰歓迎中ソ」、「戦争反対中日親善」、「中日貿易即時行へ」、「中国日本の平和提携万歳」、「平和を阻む者中日貿易を阻む者吉田政府打倒」、「亜細亜から叩き出せ侵略者米帝を」、「国会解散連立政府樹立」、「革命え」等と記載した多数のプラカードが持込まれ、
(3) 七十糎以上の、(イ)、プラカードの柄になっているもの、(ロ)、プラカードの柄にされたと思われるもの、(ハ)、プラカードの柄にしたとは思われないものを併せると、少くとも竹の棒十本、木の棒五十七本、一端を削って槍状にした竹二十本、一端に三寸釘等を一、二本打ちつけた木の棒五本あり、その他の木の棒十一本が持込まれ、
(4) 第二款第七の七、八、第八の一、四(1)(2)に認定した通り、名電報細胞、民青、西三河と東三河の各地区祖防委、三浦義治等によって合計約九十個の火焔瓶が球場内に持込まれたが、被告人片山博、同石川忠夫等は帆足計の演説中に電報局員等約十名に、さきに持込んだ火焔瓶のうち二十個位を分配し、被告人杉浦正康、同張哲洙は帆足計の演説の終る頃、民青団員約十名にさきに持込んだ火焔瓶のうち約十個を分配し、
(5) 又球場内入口附近や球場内で配付又は散布されたビラの主なものは
(イ) 第二款第七の四記載の「会場の同志諸君」と題したもの千七百二十一枚以上、
(ロ) 同「会場の労働者諸君!!」と題したもの千三百四枚以上、
(ハ) 右(イ)と(ロ)を表裏に印刷したものは、午後七時前頃から球場附近の岩井通りでも配付されていて二千百十一枚を超え、
(ニ) 「アメ帝の番犬」、「宮腰帆走両氏歓迎をピストルで弾圧」と題する「在日朝鮮民主愛国青年同盟愛知県本部」名義のもの三百三十五枚以上、「平和の行進を六尺棒で弾圧、断乎抗議を!!」と題するもの四百九十九枚以上、「帆足宮腰両氏歓迎デモの弾圧に抗議せよ」と題する「愛知産別会議」名義のもの四百五十四枚以上あり、
(ホ) 右のうち(イ)、(ロ)、(ハ)は第二款第七の五に認定した通り、被告人永田末男、同加藤和夫等が伊藤育夫等に印刷させたもので、赤松勇、寺門博の挨拶中及び帆足計の講演中並びに、渡辺修、被告人岩田弘等のアジ演説中に多数散布された。
三 帆足計の演説終了後、名大生渡辺修は被告人岩田弘、同渡辺鉱二等との協議に基き、聴衆をデモ化する目的で、「昨日帆足、宮腰両氏を名古屋駅に迎えた人達が広小路通りをデモ行進して住友ビル前にさしかかると、アメリカ兵が同ビル二階の窓から金網を投げおろし、それをきっかけとして警官隊がデモ隊員を検挙しようとして暴行を加え十数名を逮捕した、このように警察はアメリカの手先となって中日貿易を希望する国民の運動を弾圧している、今日も警察は三千五百の警官を動員して会場を取りまいている、我々は何をなすべきか、ただ行動あるのみ、我々は警察に断固抗議をしなければならない」旨の演説をしたので、伊藤長光は直ちに閉会を宣言したが、その頃「やれやれ、やっちまえ」という叫びが起って場内が騒然となった。被告人岩田弘も渡辺修と同じ目的をもって演壇に上り、「諸君今の話を聞いたか、日本を植民地化している吉田政権が中日貿易を弾圧によって妨げている、日本全国民は一致団結してこの敵吉田政府と戦わなければならない、いよいよこれからデモをやろう、スクラムを組もう」と腕をふり上げて激しい口調で叫んだところ、これに応じて場内の各所から、「そうだそうだ」、「やれやれ」、「警官をやっちまえ」、「デモを組め」、「中署へ行け」、「アメリカ村へ行け」等の叫びが起り、俄かに興奮状態になった。
右学生の演説に呼応して、先ず演壇北側の名大生三、四十名が赤旗を持って横幅四、五名の隊列を作り、被告人岩田弘がその先頭に立ち、その多数が「わっしょ、わっしょ」、「デモに入れ」等と叫びながら左廻りに二、三回廻って、その後に赤旗を掲げた民青団の一団と名電報局員その他多数が加わり、他の一団は朝鮮民主主義人民共和国国旗を持った被告人朴寅甲が先頭に立ち、その後に被告人姜泰俊が、「わっしょ、わっしょ」と叫びながら隊列を誘導して場内を左廻りに一、二回廻り、これに西三地区及び東三地区祖防委、並びに昭和区天白町方面から参集していた朝鮮人等多数が加わり、球場内を廻って気勢をあげ、両者合流して千名乃至千五百名の集団となって、午後十時頃球場東門から場外へ出ていった。
第二 デモの目的変更の指令とデモ隊員の意識
一 被告人永田末男は第二款第八の五認定の通り、同(1)乃至(5)の情報を入手して市警察の警備が厳重であると判断した結果、デモ隊が球場外へ出て行くと、無届デモであるから、警備のため出動している警官隊によって解散措置を受け、これに対し多数の火焔瓶を所持しているデモ隊が火焔瓶を使用して抵抗することを予測しながら午後九時過頃中区蛭子町三十七番地小橋玄二方の地下指導部で、被告人芝野一三に対し、「今日のデモは上前津方面へ向わせる」旨指令し、被告人芝野一三は球場内に帰って三塁側スタンドの現地指導部で被告人金泰杏、同閔南採、同崔秉祚、同李寛承等に右指令を伝え、同被告人等は協議の結果、中署、アメリカ村を攻撃するとの当初の計画を変更して、上前津方面へデモ行進し、その途中で警備の警察官による解散措置を受けた場合には、火焔瓶を使用して抵抗することに決し、被告人金泰杏はこれを被告人清水清、同姜泰俊、金億洙に、被告人清水清、金億洙は被告人山田順造、同岩間良雄、同南相万に、被告人山田順造は同片山博に、同被告人は同多田重則等に順次その旨を伝え、又島崎某、二十四、五歳の学生風の某は被告人山田泰吉、岩田弘に、更に同被告人等は被告人張哲洙及び名大生十名位に順次これを伝えたが、この指令は下部へは徹底しなかった。
二 右デモに参加した者のうち
(1) 被告人姜泰俊、同南相万、同岩田弘等少くとも二十名位は、デモは上前津方面に向うが、警察官より解散措置を受ければ火焔瓶を投げる、との認識の下にデモ隊に参加し、
(2) 名電報局員、民青団員、東三河及び西三河各地区祖防委より参集した者の各一部等少なくとも三十余名は、途中で警官隊と衝突して火焔瓶を投げることになるかもしれないと予測しつつ、中署、アメリカ村へ行って火焔瓶若くは石等を投げる目的でデモ隊に参加し、
(3) 日中貿易の妨害及び警察の処置に対する抗議のためデモを行なって、(イ)、ある者は中署又はアメリカ村へ行くことを認識し、(ロ)、ある者はその認識はないが、いずれもその行進途中に警官隊と衝突する事を予想しながら、敢て参加した者が多数あり、
(4) 右(3)と同様の抗議のため上前津若くは金山橋その他へ行進して解散することを予想して参加した者もあった。
第三 岩井通りの状況
一 球場東門を出たデモ隊は、同球場東側の幅三米未満の道を北進して岩井通りに出たのであるが、岩井通りは、西は伏見通りより東は上前津交叉点に至るまで約六百七十米で、伏見通りより大須交叉点まで約二百五十米、同交叉点より裏門前町通りと岩井通りとの交叉点(以下裏門前町交叉点と略称)まで約百八十米、同交叉点より上前津交叉点まで約二百四十米、軌道を含む車道の幅は二十一米七十三、南北の歩道の巾はそれぞれ五米三で人車の往来繁く、飲食店、遊戯場、古物商、家具建具商等の商店、銀行等が軒を並べ、名古屋市屈指の繁華街である大須仁王門通り、万松寺通りに近接する場所である(その概略は末尾に添付の岩井通り略図の通り)。
デモ隊は右岩井通りの車道及び歩道上にいた多くの群衆の中を通って、同通り南側車道の電車軌道に近い個所を東進したが、群衆の中から参加する者もあり、デモ隊は横に五名乃至八名位で腕を組み、先頭附近に赤旗二、三本、先頭よりやや後に「反戦」と墨書した筵旗及び朝鮮民主主義人民共和国国旗を押したて、隊列所々に赤旗、百本近くの前記木や竹の棒、プラカード、プラカードを壊して木若くは竹の棒だけにしたもの、及び前に認定した通りの球場に持込んだ火焔瓶約九十個を持って、「わっしょ、わっしょ」と叫びながら遅い駈足で行進し、被告人岩田弘は隊列先頭にあって、デモ隊を上前津方面に誘導した。
二 春日神社に集結していた早川大隊の副官清水栄は、無届デモに対する解散勧告の目的を以て、巡査部長沢田峰雄外写真班並に警護員等十三名を指揮して、中村署の放送用自動車「愛八の四六七」に搭乗し午後九時五十分頃同神社前を出発して大須交叉点に向い、同交叉点南東車道上で一時停車してデモ隊が岩井通りに進出したのを見た上、Uターンして同交叉点北東の車道に移り、デモ隊が同交叉点より上前津方面に向って進行するのを確認した後、デモ隊の先頭より十米乃至十五米北東を東方に徐行しながら、「このデモは無届デモで公安条令に違反するから速かに解散するよう勧告する、このまま行進すると上前津の線までにおいて警察は強力な実力行使をする」旨繰返し放送した。
第二節 騒擾
第一 警察放送車と民間乗用車に対する攻撃
デモ隊は東進するに従い徐々に警察放送車との距離を縮め、やがて電車軌道を北に越えてこれに接近して行ったが、デモ隊の先頭が放送車をやや追越した午後十時五分乃至十分頃、デモ隊列中より、大須交叉点の東約百四十米の、岩井通り四丁目四番地阪野豊吉方前車道を徐行中の放送車に、石及び火焔瓶を投げつけ、これが後部の窓を破り車内に入って、火焔瓶が発火し、次いで同隊列中より走り出た者が放送車右側の窓硝子を棒で叩き割ると、さらにデモ隊列中より火焔瓶を投込み、附近のデモ隊員は、「わあ、わあ」と喚声をあげ、「馬鹿野郎」、「税金泥棒」等と叫び、続いてデモ隊員はさらに各放送車に火焔瓶、小石、コンクリート破片を投げつけたのであるが、その際、被告人片山博、全甲徳は各二個、被告人伊藤弘訓、同岩月清、同多田重則は各一個の火焔瓶を投げた。そのため、放送車の後部及び右側窓附近に各三個、屋根に一個の火焔瓶が命中して発火し、車内には十個位の火焔瓶が投込まれて発火炎上したので、搭乗していた数人の警察官は足で踏消したりして消火に努めたが、間もなく一、二名を残して清水栄等は車外に退避して警備に当り、残った巡査野田衛一郎等は筵を使用して消火に努めた。
右放送車に対する火焔瓶、石等の攻撃により、車内で解散勧告の放送をしていた清水栄の腰に火焔瓶一個が当って発火したため、被服がボロボロになって肌が見える程になり、野田衛一郎は顔面に火焔瓶の溶液を浴びて加療一週間を要する第一度火傷、巡査部長沢田峰雄及び巡査横井一男は硫酸の飛沫により顔面に軽度の火傷、同林惣一は車内の消火を手伝うため乗車しようとした時足もとに火焔瓶が破裂して、左下肢、右手背に安静加療二週間を要する第二度火傷を受けたほか、野田、林、沢田の被服は火焔瓶の火焔及び硫酸のため上下ボロボロになり、横井のズボン及び靴は使用に堪えなくなり、放送車は火焔瓶、石等を投擲されたため、後部窓硝子一枚、右側窓硝子四枚が破損し、車内の長腰掛及び床板は硫酸と火焔のため黒焦げとなった。又放送車附近の岩井通り道路上の諸所に投擲された多数の火焔瓶が発火炎上し、放送車の北側にある同通り四丁目四番地上原明方硝子戸の縦桟、阪野豊吉方板塀、伊藤留方柱にも一個の火焔瓶が命中して発火し、伊藤留が消火に努めたが、その各一部及び同所に立てかけてあった看板を焼焦がした。
このような、放送車内及び道路上での火焔瓶の発火炎上によって、附近のデモ隊員の一部はスクラムを解いて車道南方へ退避しようとしたため混乱を生じたので、被告人杉浦正康は「スクラムを解くな、後ろを向くな」と叫び、同張哲洙は持っていた旗を横にして、「列を崩すな」、「逃げるな」と叫んで後退を防ごうとしたけれども、一部は南側の岩井通り四丁目八番地空地及びその東側路地へ逃げこんだ。一方ではその頃、被告人杉浦正康、同李圭元は放送車の附近へ、同金寿顕、同林学、朴魯勲はその附近道路上にそれぞれ火焔瓶一個を投げつけて発火炎上させた。
デモ隊列は、右のように放送車の附近で一部に混乱を生じたけれども、全体としてはなお進行を続け、その一部は前記空地の東北角車道に駐車してあった後藤信一の管理にかかる熱田タクシー株式会社の「愛三の三〇一一」黒色ラファイエット乗用車一台のボンネット及び屋根の部分に、火焔瓶三個を投げつけて発火させ、石を投げ棍棒で叩く等して、前面窓硝子、左方向指示器、左ドア窓枠、右窓硝子等を破壊して三万四、五千円の損害を与え、続いて右乗用車の西方約十三米に駐車してあった浅井忠文管理にかかる、土屋某所有の「愛三の二〇一三二」空色四十年型ダッジ乗用車一台に、火焔瓶数個を投入して発火炎上させ、石を投げ、棍棒で叩く等したが、その際被告人李聖一は右乗用車の運転台のドア附近に火焔瓶一個を投げつけた。このため右乗用車は炎上して火焔が高く立ちのぼり、後で消防車が消火するまで燃続いて車内の座席、計器、ハンドル等設備一切を焼燬したほか、車体の数個所に打痕を残して五、六十万円の損害を与えた。その頃被告人林元圭は右空地北方の岩井通り北側歩道から浅井忠文管理の乗用車に向って火焔瓶一個を、同梁一錫は右歩道から道路上に火焔瓶二個を投げつけて発火させた。このようにして空地前附近より警察放送車に至るまでの道路上には、暴徒が投擲した火焔瓶による焔が諸所に燃上って火の海のようになり、暴徒の中には「ざまを見ろ」、「やっつけろ」、「やった、やった」等と叫ぶ者があって、附近一帯は騒然となった。
清水栄は前記のように放送車より下車して、警護員等と共に放送車を裏門前町交叉点東北角附近に退避させた後、さきに下車した部下の安否を気遣うと共に暴徒を逮捕する目的で、岩井通り車道の北側を百米余西に向い、途中火焔瓶一、二個、石数個を投げつけられて、前記空地北側車道附近まで来ると、その附近では既にデモの隊列が崩れていたけれども、多数の群衆が南側の車道及び歩道上に群がっていて、空地前にあった後藤信一管理の乗用車に火焔瓶を投げつける者があり、その後これを消していた二、三名があったけれども、赤旗、プラカード等を持った者を含む五、六十名がさらに乗用車に放火しようとする気勢を示し、北側軌道上に進み出た清水栄に対して盛んに投石し、うち一個が同人に当って全治五日を要する右前胸部挫傷の傷害を与えるに至ったので、同人は自分一人が孤立した状態にあって攻撃を受け、かつ暴徒がなお乗用車に火焔瓶を投入しようとするような勢を見て、これを防止するためには拳銃を発射する以外に方法がないと判断し、午後十時十五分頃右軌道上より、西南方の前記気勢をあげていた暴徒へ向けて拳銃五発を発射したところ、これらは前記空地及び西方に後退した。
第二 早川大隊の出動と同大隊山口中隊に対する攻撃
春日神社に集結していた早川大隊の大隊長警視早川清春は、放送車が火焔瓶で攻撃されたことを知って、各中隊に放送車の救出と暴徒鎮圧のため出動を命じたので、先ず警部山口康治指揮の山口中隊、少し遅れて同浅井輝正指揮の浅井中隊、続いて同神田隆次指揮の神田中隊、同山田喜四郎指揮の山田中隊の順序で駈足で現場に向い出動した。
山口中隊は三列縦隊で道路中央を西進し、裏門前町交叉点附近で道路一杯に群って喚声をあげていた暴徒及び群衆を突切り、これらを制圧しながら前記空地附近に達したところ、暴徒は同中隊に対し南及び西より火焔瓶、石、瓦等を投擲したが、その際、被告人方甲生は二個、同朴昌吉、同宮脇寛は各一個の火焔瓶を投げつけた。
山口中隊は西進して大須交叉点に達し群衆を北、西、南へ後退させたが、附近の暴徒は激しく火焔瓶、石等を投擲した。同中隊は反転東進して前記空地前西北方附近に達したところ、前記浅井忠文管理の乗用車は炎上していて、多数の暴徒は北側の歩道及び南の空地附近より同中隊に火焔瓶、石、木片等を投擲し一部は接近して攻撃を加え、特に空地よりの攻撃は熾烈を極わめたため、同中隊は道路中央で進退に窮し、警部補酒井元一が通院加療約一ヶ月を要する左側下口唇挫創、治癒後知覚神経麻痺の傷害を受けたほか、十一名が三日乃至二週間を要する傷害を受け、二十一名の衣服が損傷するに至ったので、中隊長山口康治は午後十時二十分頃、部下警察職員の生命身体を護り、暴徒を制圧する目的をもって、「うつぞ」と警告を発した後拳銃の発射を命じ、山口康治、巡査部長亀垣櫃、巡査山川十紀夫は各一発、同柴田(旧姓野崎)孝雄は三発を右道路上から東南方の空地に向け、火焔瓶、石等を投擲していた者の足もとをねらって発射したところ、空地附近の暴徒は右空地及びその東側路地の南方へ、岩井通りの暴徒は同通りの東又は西へそれぞれ後退した。
右中隊の松下小隊は大須交叉点附近まで暴徒を追って行ったが、間もなく右中隊は上前津交叉点方面に移動して附近の警備についた。
第三 村井大隊、富成大隊、青柳隊の出動
前記状況に対して、村井大隊の警部荘司安一指揮の荘司中隊は午後十時二十分頃、同山田京市指揮の山田中隊は同三十分頃、それぞれの待機場所より出発し、門前町通りを南下して岩井通りに出動し、富成大隊の警部鶴田諸兄指揮の鶴田中隊は同三十分頃、続いて同近藤時義指揮の近藤中隊もその頃、待機場所より伏見通りを南下して岩井通りへ出動し、青柳隊もその頃門前町通りを南下して大須交叉点附近まで出動したが、暴徒はこれら警官隊に対して以下に記載する通り火焔瓶、石、瓦等を投擲して攻撃を加えた。
第四 岩井通り四丁目八番地空地附近の状況
一 浅井中隊は裏門前町交叉点附近より大須交叉点に至るまでの間、火焔瓶、石等の投擲を受けながら北側車道上の暴徒及び群衆を歩道上に押上げつつ西進したが、特に岩井通り四丁目三番地西濃トラック運輸株式会社附近より激しい攻撃を受けたので、その附近の暴徒を同会社東側路地に追込んだところ、その一部は附近の民家の屋上から投石してきた。他方岩井通り南方の空地附近からも投石してきたので、空地東側路地を南へ約二十米追ってこれを退散させた。
二 神田中隊は裏門前町交叉点附近より大須交叉点附近まで、中隊を二分して、車道上の暴徒及び群衆を南北の歩道に押上げつつ西進したがこれらは同中隊に対し「馬鹿野郎」、「税金泥棒」等と罵声を浴びせ、数個の火焔瓶と多数の小石を投擲し、特に南側空地及びその東側路地附近よりの攻撃は激しかった。
三 山田(喜)中隊は裏門前町交叉点附近より空地前附近まで暴徒及び群衆を歩道に押上げつつ西進したが、これらは同中隊に対しても「馬鹿野郎」、「税金泥棒」、「やっつけろ」等と罵声を浴びせ、火焔瓶、小石、コンクリート片等を投擲し、特に南側空地附近よりする攻撃が激しかったので、同中隊は数回にわたり空地東側路地を南方に進んで暴徒を解散させた。岩井通り四丁目三番地附近の暴徒も同中隊に対し、小石、棒切れ等を投げつけて攻撃したので、同中隊はこれらを北側歩道及び路地に追い解散させる等の行動を繰返した。
四 山田(京)中隊は自動車二台に分乗して門前町通りを南下し、大須交叉点を左折して岩井通りを東進したところ、同通り四丁目三番地附近で暴徒より投石を受けたので下車したが、暴徒は前記西濃トラック運輸株式会社東側路地や附近の民家の屋上等から激しく投石し、「馬鹿野郎、何しに来た」と罵声を浴びせてきたので、同中隊は二、三回右路地の奥までこれを追って解散させた。他方五、六十名の暴徒が南側空地及びその東側路地附近から盛んに投石してきたので、同中隊の一部は右空地前歩道附近でこれを制圧したが、暴徒はなお空地東側路地の南方から激しく繰返し投石した。
暴徒の右のような攻撃の際、被告人片山博は火焔瓶一個を、同林行美、同李野直二、同趙国来、同宮川昭一等は石瓦片等を前記空地東側路地附近より岩井通り上の警察官に投擲し、同須田康弘は石一個を同通り四丁目十一番地附近車道上より北側車道を進行中の警察の自動車に投げつけた。
第五 大須交叉点附近の状況
一 神田中隊は大須交叉点に到着して、同所附近に群っていた数百名の群衆を北、西、南へ追って解散させたが、南方へ後退した二、三百名の者が同中隊に対し「馬鹿野郎」、「税金泥棒」、「ここまで来い、殺してやるぞ」等と罵声を浴びせ、火焔瓶や小石を投擲したので、同中隊はこれを二、三回にわたりさらに南方に追散らした後、同交叉点で警備に従事した。
二 山田(京)中隊の一部は前記四の警備活動の後、他の部隊と共に、西方岩井通り四丁目十二、三番地前附近の歩車道に群っていた暴徒及び群衆を、大須交叉点南方西別院の入口附近まで追って解散させた。
三 荘司中隊は自動車に搭乗して門前町通りを南下する途中、大須交叉点より北約二十米の地点で、北へ後退する群衆のため進行不可能となって下車したところ、暴徒は北及び西より激しく投石してきたので、同中隊はこれを門前町通りの北方及び東西の道路へ追散らしたが、さらに又集って投石するので、解散活動を繰返した。
四 青柳隊が大須交叉点北の門前町通りで、群衆整理と警備のために行動していたところ、暴徒は同隊に対し西又は南方より投石した。
五 中消防署橘出張所所属の消防司令補伊藤光秋が指揮する消防車「愛八の七三」が、岩井通りで炎上中の浅井忠文管理の乗用車の火災を消火するため、門前町通りを大須交叉点に向って北上中、暴徒は石及び火焔瓶を同消防車に投げつけたが、特に午後十時二十五分頃門前町七丁目十二番地歩道上より、右消防車に対して投げつけた石及び数個の火焔瓶のうち、二個の火焔瓶は消防車の右側ステップ後部と左側ステップ中央部に命中して発火したため、搭乗していた消防士尾関昭は顔面に硫酸の飛沫を浴びて軽度の火傷を負い、一個の石は消防士宮地一久に当って全治三週間を要する右下腿部挫傷を与え、火焔瓶は路上で破裂して発火したため、通行中の岩瀬恒男が顔面に硫酸の飛沫を浴びて全治約五日を要する火傷を負った。右消防車が岩井通りで約二十分にわたり浅井忠文管理の乗用車の消火に努めていたとき、暴徒はこれに対して数個の火焔瓶を投擲した。
暴徒のこのような攻撃の際、被告人小野芳二は同交叉点附近で警備活動中の警察官を「税金泥棒」と罵り、同崔且甲は同所附近で暴徒及び群衆に向い、「憎しみをこめて石をぶっつけろ」と叫び、同朴正熙は同交叉点東南角附近より火焔瓶二個を、同朴柄釆は同西南角附近より、同宮村治は同東北角附近より火焔瓶各一個を警備活動中の警察官に投擲し、李一宰は同交叉点西南角附近より火焔瓶一個を、同東北角附近を多数の警察官を乗せて進行中のトラックの後車輪の近くに投げつけた。
第六 大須交叉点以西の状況
富成大隊の鶴田中隊と近藤中隊がトラック等に搭乗して相次いで伏見通りを南下し、左折して岩井通りを東進する際、同通り三丁目南北歩道附近の暴徒及び群衆は右両中隊に対し、「馬鹿野郎」、「税金泥棒」等と罵声を浴びせ、多数の石を投擲して攻撃を加え、特に近藤中隊には数個の火焔瓶を投げつけ、うち二個はトラックの車体と車輪に命中し、うち三個は同通り三丁目一番地寺西政十方前歩車道上に破裂して発火炎上した。鶴田中隊は同通り三丁目七番地前附近車道上に下車し、南北歩道上の群衆を整理解散させて同所附近の警備についたところ、暴徒は同中隊に対し火焔瓶二、三個及び多数の石、瓦等を投擲した。
第七 裏門前町交叉点附近の状況
浅井中隊と山田(喜)中隊とは前記第四の一及び三の警備活動の後、群衆を整理しつつ裏門前町交叉点まで東進したところ、三、四百名の暴徒及び群衆は東方から北側歩道と南側歩道にかけて半円形に両中隊を包囲し、「馬鹿野郎」等と罵り、プラカードの柄を構えて、「やったるか」と叫びながら警官隊の直前まで迫り、盛んに火焔瓶、石、コンクリート片等を投げつけたので、警察官は生命身体の危険を感じ、浅井中隊長は拳銃を構える姿勢を示して、「うつぞ」と叫び、隊員の中には拳銃を構える者もあり、暴徒及び群衆はこれを見て漸次後退したが、両中隊はたまたま荘司中隊と近藤中隊の来援を受けたので、浅井、山田(喜)両中隊の一部と荘司中隊は、再三押返してくる暴徒及び群衆を裏門前町通りの南方へ追って数回にわたり解散活動をしたところ、暴徒は火焔瓶、石等を投擲して抵抗した。又浅井、山田(喜)両中隊の一部と近藤中隊は、門前町通りを北方へ追って数回にわたり解散させようとしたけれども、暴徒は警官隊に「馬鹿野郎」、「税金泥棒」、「殺されるぞ」等と罵声を浴びせ、激しく投石して抵抗を続け、容易に解散しないので、浅井中隊の一部は迂回して右暴徒を背後より制圧したところ、暴徒はこれに対しても投石した。
暴徒の右のような暴行等の際、いずれも裏門前町交叉点附近の警察官に対し、被告人小島進は「それでも日本人か」、同高田英太郎は「殺されるぞ」と同所附近で罵声を浴びせ、同金甲仙は同交叉点東北角よりやや東の歩道上から二、三回投石し、同崔且甲は同交叉点やや北方から「やっちまえ」と叫ぶとともに投石し、同横井政二は同交叉点北方約三十米の附近から投石し、同山田順造は同交叉点北方の、同通りと仁王門通りとの交叉点附近から、「馬鹿野郎、それでも日本人か」と罵ると共に十数回、同阿部政雄は岩井通り四丁目七番地歩道上より二回それぞれ投石し、同山田順造は裏門前町交叉点西北角附近から、同伊藤弘訓は同交叉点車道上から、同稲森春雄は同交叉点西南角附近から各一個の火焔瓶を、同片山博は同交叉点南方から火焔瓶二個を投擲した。
第八 上前津交叉点附近の状況
被告人横江護は午後十時三十分頃上前津交叉点南市電停留所附近より、同交叉点西市電停留所附近で警備中の警察官に投石し、暴徒の一人は午後十時四十分頃、同交叉点の南方約三十米の中区春日町三十八番地中署上前津交通巡査詰所に、火焔瓶一個を投入して発火炎上させ、事務室と休憩室の境の板壁を燻焼し、板壁に貼ってあった地図とカレンダーを焼燬し、硝子戸の硝子一枚を損壊した。
第九 本件に因り生じた損害
一 人的損害
(イ) 暴徒の暴行を原因として、前記警部補酒井元一が通院加療約一ヶ月を要する左側下口唇挫創治癒後知覚神経麻痺の傷害を受けたほか、警察官六十九名、消防署員二名、一般市民四名が加療二、三日乃至五週間位を要する顔面挫傷兼鼻骨骨折(警部補足立力)、右腕関節部外側第二度火傷(巡査平岡克巳)、背部左前膊上膊第二度火傷(西尾行広)等の傷害を受け、
(ロ) 騒擾の際の混乱のため人の下敷になる等の理由により、丹羽鈴子の母某外二名が加療一週間乃至一ヶ月余を要する胸部等打撲傷を受け、
(ハ) 警察官の発射した拳銃弾のため、申聖浩は頭部盲貫銃創により即死し、森田国男は左腕関節部盲貫銃創、伊藤柳太郎は左胸部貫通銃創、村山悟は左上膊左前胸部貫通銃創により、入院加療三週間乃至四十二日を要し、森田国男、伊藤柳太郎は八年後も多少の運動障碍を残す傷害を受け(警察技官大野竜男の28、4、27鑑定書、証人大野竜男に対する尋問調書によると、申聖浩と森田国男に命中した弾丸はいずれも同一の拳銃則ち巡査部長亀垣が発射したことになるが、≪証拠省略≫によると、同巡査部長は一発しか発射しないこと、≪証拠省略≫によると、右二個の弾丸は各別の拳銃から発射されたものであることが明らかなので、前記大野竜男作成の鑑定書と証人大野竜男の証言は信用し難い。前に認定した警視清水栄の拳銃発射の位置及び方向と、証人森田国男に対する尋問調書により認められる、岩井通りの南側にある森田国男方へ東北から弾丸が射入して、表戸を内側から押えていた同人の左腕内側に命中していることからすれば、森田国男の受傷は清水栄の発射した拳銃の弾丸であることが推測されるが、申聖浩と森田国男に命中した弾丸が各別の拳銃から発射されたものである以上、申聖浩に命中した弾丸は清水栄が発射したものではないということになり、それなら申聖浩に命中した弾丸は誰が発射したものであるかということになると、さきに検察官が早崎に拳銃弾の鑑定を依頼した際、書面による詳細な報告を求めていたならば判明したと考えられるが、口頭による報告を求めただけであるため明らかでない。ただ前記の通り清水栄の弾丸ではないから、前に認定した山口中隊の警察官で拳銃を発射した四名の中の誰かの弾丸であるといえるだけである。この点について検察官、被告人の双方共再鑑定の申請をしなかったし、裁判所も警察官が発射した拳銃の弾丸による死亡であることが明らかである以上、本件においてはその上さらに誰が発射した弾丸により申聖浩が死亡したかということまで確定する必要はないので、職権による再鑑定をしなかった)、警察官の警杖により高津満は右後頭部に長さ四、五糎の裂傷を受け、川本金一は後頭部に全治約十日を要する傷害を受けた。
二 物的損害
(イ) 暴徒の暴行を原因として、中村署管理の警察放送車の後部窓硝子一枚、右側窓硝子四枚が破損し、車内の左右の長腰掛及び床板は火焔と硫酸により黒焦げとなり、浅井忠文管理の空色四十年型ダッジ乗用車一台は、車内の座席、計器、ハンドル等設備一切を焼燬し、車体各所に打痕を生じ、後藤信一管理の熱田タクシー株式会社所有の黒色ラファイエット乗用車一台は、ウインドガラス、左方向指示器、左ドア窓枠、右窓硝子等を破損し、上前津交通巡査詰所の事務室と休憩室の境の板壁を燻焼して、地図及びカレンダーを焼燬し、硝子戸の硝子一枚を損壊し、岩井通り四丁目四番地上原明方ほか二ヶ所の民家の硝子戸(縦桟)の一部等を燻焼したことは前に認定した通りであるが、そのほか警察の自動車二台の前面硝子等三、四枚が破損し、中消防署橘出張所管理の消防車の長さ四十米のホースに焦穴が出来て使用不能になったほか、車体数ヶ所に打痕を生じ、岩井通り四丁目十二番地所在の電話ボックスの窓硝子一枚を破損し、同三番地小林一夫方の雨戸一本の一部を燻焼し、同通り三丁目四番地長谷川悦次郎方硝子一枚を破損し、警察官の制服上衣、ズボン、開襟シャツ等五十余点及び民間人の襦袢、ズボン各一点を損傷し、
(ロ) 騒擾の際の混乱のため、岩井通り三丁目一番地寺西政十方ほか十三個所の硝子十六枚、ウインドケース硝子三枚、ウインドケース陳列中のグラス七個が破損した。
第十 静謐阻害の一状況
本件現場にいた者の中には、まるで戦争と同じように思ったとか、市街戦のようであったとか、野戦以上にこわく感じたとか、あたかも革命前夜のように感じたとか、内乱ではないかと感じた者があったこと、附近の住民の中には、(1)火事になることを怖れてバケツ、洗面器等に水を入れて消火の用意をした者が多数あり、七ツ寺協和会の人達は消防ポンプを用意し、(2)荷物をまとめて逃げる用意をした者があり、(3)子供が怪我をするのを怖れて騒ぎの間蒲団をかぶせていた母親や、奥の間でふるえていた者があり、(4)翌日午前三時頃まで、又は翌朝まで眠れなかった者があった。
第十一 結語
以上の次第で本件は多衆集合して暴行脅迫をなした結果、初めに火焔瓶が投擲された午後十時五分乃至十分頃より、警官隊の前記警備活動と、各部隊が騒擾罪を適用する旨警備本部より通達を受けてデモに参加した者全員の検挙に乗出したため、諸所に集合していた暴徒が漸く解散して、騒ぎがほぼ静まりかけた同十一時三十分頃までの間、西は伏見通りより東は上前津交叉点に至る約六百七十米の岩井通りと、その北約百米、南約二百米の一帯の地域にわたり、公共の静謐を害し、以て騒擾をしたものである。
第三節 別動隊の行動
第一 東税務署に対する攻撃
被告人金炳根は同金泰杏から、第一節第二款第八の二に認定した通りの東税務署等攻撃に関する指令を受けた後、同日午後二時頃、同市北区大曽根附近の民愛青名東支部で、被告人安俊鎬に右指令を伝え、同日夕刻同所で同被告人に前記火焔瓶四個を交付して、頼むぞ、と激励し、同被告人は午後六時過頃から同所で、被告人李院承、同鄭恢、同鄭再恢、同全正守及び金段俊に右指示を伝えて、同人等と協議の上、攻撃目標を東税務署とし、被告人安俊鎬、同鄭恢、同鄭再恢及び金段俊は火焔瓶を投げ、被告人李院承、同全正守は同署附近を見張ること等を定め、各自分散して同支部を出発し、午後九時前頃同市東区白壁町金城学院西側路上に集合したが、同所において先に被告人安俊鎬から指示を受けていた権尚琪も加わり協議の結果、被告人全正守と権尚琪は見張りをし、被告人李院承は硝子窓に投石し、その他の者は火焔瓶を投げることを決定して、ここに被告人金炳根、同安俊鎬、同鄭恢、同鄭再恢、同李院承、同全正守及び金段俊、権尚琪は順次、大須球場附近における警察の警備力を分散させるため、人の現在する東税務署を火焔瓶で攻撃して放火することの共謀を遂げた上、午後九時五分頃、被告人全正守及び権尚琪は同税務署前附近路上で見張りをし、署長玉置明男が管理し、署員伊藤貞雄、太田清、岡田隆徳等が宿直していた、同市東区白壁町四丁目二十二番地名古屋東税務署玄関西側硝子窓めがけて、被告人安俊鎬、同鄭恢、同鄭再恢及び金段俊は火焔瓶各一個を、被告人李院承は小石一個を投げつけたが、窓硝子七枚を破損しただけで四個の火焔瓶はいずれも屋外に落ち、内一個は破裂し、一個は栓が抜けて共に発火したが、署員に消しとめられて焼燬の目的を遂げなかった。
第二 鶴舞公園内駐留軍自動車に対する攻撃
金鶴圭は被告人金泰杏から、第一節第二款第八の二に認定した通りの鶴舞公園内駐留軍自動車の攻撃に関する指令を受けた後、同日午後民愛青名中支部で、被告人李炳元、同金英吾、同安日秀、同趙顕好、同朴泰俊、同趙在奎、同崔永権、同趙大権、同李聖一外二、三名に対し、今晩大須でデモが行なわれるが、警察が弾圧しそうだから、警察官を引寄せてデモをやり易くするため、鶴舞公園の駐留軍自動車を火焔瓶で焼き払う、投げ終ったら皆デモに参加してくれと指示し、協議の結果、金鶴圭が隊長となり、一班は駐留軍が使用していた同公園内名古市公会堂正面にある自動車を、他の班は西側にある自動車を攻撃すること、班長を金鶴圭及び被告人趙大権とすること等を決定した上、一旦大須球場へ赴いて講演を聞いた後、午後八時三十分頃同市中区千早町愛知陸運株式会社附近の崔南雪方に集合し、同所で被告人稲垣泰男、同安時煥も情を知ってこれに加わり、ここに右被告人等及び金鶴圭は前記目的を以て、鶴舞公園内名古屋市公会堂前の駐留軍自動車に対し、火焔瓶を投げつけて焼払うことの共謀を遂げ、被告人趙大権、同金英吾は各二個、金鶴圭、被告人趙顕好、同李炳元、同趙在奎、同安日秀、同朴泰俊、同李聖一、同安時煥、同稲垣泰男は各一個の火焔瓶を携帯し、分散して同市昭和区鶴舞町六十四番地市公会堂前に到り、金鶴圭、被告人李炳元、同安日秀、同朴泰俊、同趙在奎、同李聖一は公会堂南側(正面)芝生で、同稲垣泰男、同金英吾、同安時煥、同趙顕好、同崔永権、同趙大権はその西側芝生でそれぞれ待機し、しばらくして被告人趙大権、同金英吾はその東側に移動した後、同日午後八時五十五分頃、金鶴圭が公会堂正面の自動車に火焔瓶を投げつけるのを合図に、被告人李煥元、同安日秀、同趙顕好、同朴泰俊、同趙在奎は、公会堂玄関より、南方六十五米乃至七十米の個所に置いてあった、アール・ビー・ハーバード外三名所有の乗用車四台に対し火焔瓶各一個を、同東出入口より東約三十米の個所にあったフランシス・ソリッチ外一名所有のジープ一台に対し、被告人金英吾は火焔瓶一個、同大趙権は火焔瓶二個を投げつけ、被告人稲垣泰男、同安時煥、同崔永権、同李聖一は投げつける時機を失したためそのまま逃走したが、右火焔瓶投擲の結果、公会堂南方にあったアール・ビー・ハーバード外三名所有の乗用車四台に、前面硝子の破損(二台)、前面硝子拭器破損(二台)、計器盤上部破損(一台)、濃硫酸による車外塗装部分と窓硝子周囲の絶縁ゴムの損傷を、同東方にあったフランス・ソリッチ外一名所有のジープ一台に火焔瓶の破裂に基く火焔に因るハンドル部分の一部破損と、濃硫酸による車体内外部分の汚損を与え、以て右被告人等及び金鶴圭は共同してアール・ビー・ハーバード外五名所有の自動車五台を損壊した。
第四節 各被告人の行為(但し第三節認定の分を除く)
第一 騒擾の首魁
前記騒擾に際し、
一 被告人清水清は市V軍事委員であったが、
(1) 第二款第一及び第三の一認定の通り、六月二十八日及び七月二日頃に行なわれた市V軍事委員の会合で、被告人芝野一三等軍事委員と共に、七・七歓迎大会デモを行なって中署に抗議し、その際火焔瓶、手榴弾を使用すること等を決定した上、Bブロック連絡担当者となり、
(2) 同第五の二認定の通り、七月四日のBブロック緊急細胞代表者会議で、デモには細胞員全員武装して参加し、火焔瓶、小石を使用すること等を指示し、同五認定の通り被告人岩間良雄に火焔瓶製造原料の受領に関するレポを手渡した外、被告人山田順造に対し軍事代表者として翌五日に行なわれる隊長会議に出席するよう命じ、
(3) 同第六の一の認定の通り、七月五日の隊長会議に出席して、前記デモを行なって中署、アメリカ村を火焔瓶等で攻撃すること等を協議決定し、
(4) 七月七日夜は大須球場内三塁側スタンドの現地指導部附近に位置し、帆足計の演説の頃被告人山田順造に対し、「本日は政治デモに変更する、コースは上前津を経て金山に行く」旨指示し、デモ隊が岩井通りを行進した時はデモ隊列の側方又は先頭附近を行進し、
二 被告人渡辺鉱二は市V軍事委員であったが、
(1) 第二款第一及び第三の一認定の通り、六月二十八日及び七月二日頃行なわれた市V軍事委員の会合で、被告人芝野一三等軍事委員と共に七・七歓迎大会後デモを行なって中署に抗議し、その際火焔瓶、手榴弾を使用すること等を協議決定し、
(2) 同第三の三認定の通り、七月二日頃市祖防委員金億洙に手榴弾製造のための材料を用意することを指示し、同月四日氏名不詳者某及び同人を介して金億洙に手榴弾の製造を命じ、
(3) 同第五の四認定の通り、七月四日被告人山田順造に、前記大会に名電報細胞員は自分以外に少くとも一人を参加させ、各人火焔瓶一個を持って参加せよ等の指示を与え、
(4) 同第六の一認定の通り、七月五日の隊長会議に出席して、前記デモを行ない、中署、アメリカ村を火焔瓶等で攻撃すること等を協議決定し、
(5) 同第七の三認定の通り、七月六日の名大嚶鳴寮での会合で、被告人岩田弘等数名に、大会後のデモは七月六日の広小路デモの弾圧に対する中署への抗議デモであること等の指示を与えると共に、中署を攻撃する方法等につき協議決定をし、
三 被告人芝野一三は市V軍事委員キャップであったが、
(1) 第二款第一及び第三の一認定の通り、六月二十八日及び七月二日頃行なわれた市V軍事委員の会合で、被告人渡辺鉱二等軍事委員と共に(後者の会合では議長として)、七・七歓迎大会後デモを行なって中署に抗議し、その際火焔瓶、手榴弾を使用すること等を協議決定し、
(2) 同第五の五及び第六の一認定の通り、七月五日の隊長会議では議長として議事を進め、前記デモを行なって中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃すること等を協議決定し、被告人山田泰吉に対しては火焔瓶製造原料の分配場所に関するレポを手渡してその受領方を指示し、
(3) 七月七日夜は大須球場内三塁側スタンドの現地指導部附近に位置し、中区蛭子町三十七番地小橋玄二方の地下指導部に二回位赴いて、被告人永田末男に球場内の状況や現地指導部内に混乱が起きていること等を報告し、午後九時過頃同被告人より第四款第二の一認定の通り、デモを上前津方面に向わせる旨の指令を受けて、現地指導部の被告人金泰杏等に伝え、同人等と協議の上、デモを上前津に向わせ、警察の解散措置を受ければ火焔瓶を使用することを決定して、下部に指令し、
以て被告人芝野一三、同清水清、同渡辺鉱二等市V軍事委員は、自ら中心となって本件騒擾を首唱画策して首魁となり、
四 被告人李寛承は県祖防委員であったが、
(1) 第二款第六の五認定の通り、七月五日民愛青名中支部で、被告人閔南採等と共に被告人金泰杏から隊長会議の結果報吾を受けてこれを諒承し、七・七歓迎大会後中署、アメリカ村を襲撃することを協議決定し、
(2) 同第八の三認定の通り、七月七日国鉄名古屋駅西辛島パチンコ店での県、市祖防委と各地区祖防委キャップ等との会合に出席して、被告人金泰杏から、同夜の行動に関し説明を受け、火焔瓶を使用して学生は中署を、朝鮮人はアメリカ村を攻撃すること及び朝鮮人部隊の編成等について協議決定し、
(3) 同夜は大須球場内三塁側スタンドの現地指導部附近に位置し、第四款第二の一認定の通り、地下指導部よりの、デモを上前津方面に向わせる旨の指令を伝えられ、被告人閔南採等と協議の上、デモを上前津に向わせ、警察の解散措置を受ければ火焔瓶を使用することを決定し、
五 被告人崔秉祚は県祖防委員であったが、
(1) 第二款第六の五認定の通り、七月五日民愛青名中支部で、被告人閔南採等と共に被告人金泰杏から隊長会議の結果の報告を受けてこれを諒承し、七・七歓迎大会後中署、アメリカ村を襲撃することを協議決定し、
(2) 同第八の三認定の通り、七月七日国鉄名古屋駅西辛島パチンコ店での県、市祖防委と各地区祖防委キャップ等との会合に出席して、被告人金泰杏から、同夜の行動に関し説明を受け、火焔瓶を使用して学生は中署を、朝鮮人はアメリカ村を攻撃すること及び朝鮮人部隊の編成等について協議決定し、
(3) 同夜は大須球場内三塁側スタンド現地指導部附近に位置し、第四款第二の一認定の通り地下指導部よりの、デモを上前津方面に向わせる旨の指令を伝えられ、被告人閔南採等と協議の上、デモを上前津に向わせ、警察の解散措置を受ければ火焔瓶を使用することを決定し、
以て被告人崔秉祚、同李寛承等県祖防委員は被告人金泰杏及び同被告人を介して市V軍事委員と協力し、本件騒擾を首唱画策して首魁となり、
六 被告人加藤和夫は市V員で同S部(総務)キャップであったが、
(1) 第二款第三の二認定の通り、七月二日頃中区東田町前衛書房で、被告人水谷謙治に対して、七・七歓迎大会後デモを行なうので、ピケを組織して警察の警備状況を調査報告すること等の指示をなし、
(2) 同第七の四認定の通り、同月六日午後二時頃、被告人水谷謙治から明和細胞が中心となって民青団明和班を動員して情報収集に当ることとなった旨の報告を受けた後の同日夕刻同被告人に対し、伊藤明人方で情報を収集してこれを平松達典方の中間機関に報告すべきこと等の指示を与え、
(3) 同第七の五認定の通り、被告人永田末男の指示を受けて同日夜「会場の同志諸君」等と題するアジビラ数千枚を伊藤育夫等に印刷させ、
(4) 同月七日午前十一時過頃から午後八時頃までの間、前記平松達典方又は伊藤明人方で、被告人水谷謙治及び同安藤宏等から警察官の動静に関する情報を収集し、被告人岩原靖幸、同佐藤操を介し、又は自ら、前記地下指導部に、午後二時半頃中村、北、昭和、熱田、瑞穂各警察署に対するピケ配置完了、その他大体うまくいっている、中村消防署が消防車二台待機、中署屋上に警察官待機、中署から私服が多数出ている等警察官の動静について報告し、
(5) 同日午後四時三十分頃前記伊藤明人方で被告人安藤宏に対し、今後は大須球場附近の警察の警備配置に重点を置くようにせよ、午後七時五十分頃同所で同人に対し、鶴舞公園で別動隊が活動するから警察官の移動に注意せよ、と各指示した外、午後八時過頃同所において被告人水谷謙治に対し、万一の際急を要する時に、大須球場内の現地指導部に連絡する方法を指示し、
以て被告人永田末男の指示を受けながら、同被告人等と共に本件騒擾を首唱画策して首魁となり、
七 被告人永田末男は市Vキャップとして名古屋における日本共産党の非合法活動を統轄していたが、
(1) 当時の同党中央指導部のいわゆる軍事方針に従い、七・七歓迎大会が開催される機会を利用し、アメリカ占領軍、吉田政府、朝鮮戦争、単独講和、日中貿易阻害等に対する抗議デモを行なって中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃することを計画し、
(2) 第一節第二款第七の五認定の通り、右大会後聴衆を煽動しデモに参加させる目的で、同月六日夜被告人加藤和夫、伊藤育夫等に「会場の同志諸君」等と題するアジビラ数千枚を印刷させ、
(3) 同第八の五認定の通り、同夜の行動のための情勢判断の資料とする目的で、被告人加藤和夫に命じて、被告人水谷謙治、同安藤宏等に警察の警備状況に関する情報を収集させ、
(4) 同第九認定の通り、当夜の行動の全般的指導のため、七日午前十一時頃から午後七時頃までは熱田区日比野町五十番地千田病院内に、その後午後十時頃までは中区蛭子町三十七番地小橋玄二方に、地下指導部を設けて自らここに位置し、千田病院では、被告人岩原靖幸、同佐藤操に命じて前記中間機関の被告人加藤和夫に情報収集に関する指令を与えさせると共に情報を持ち帰らせ、小橋玄二方では、被告人芝野一三、同加藤和夫、同吉田公幸他二、三名より同第八の五(1)乃至(6)その他の情報を得て全般的指導の資料となし、
(5) 同第四款第二の一認定の通り、右情報を入手して、市警察の警備が厳重であると判断した結果、デモ隊が球場外に出て行けば無届デモであるから、警官隊により解散措置を受け、これに対し多数の火焔瓶を所持するデモ隊員が火焔瓶を使用することを予測しながら、午後九時過頃右地下指導部で、被告人芝野一三に対しデモを上前津方面に向わせることを指令し、
以て自ら中心となって本件騒擾を首唱画策してその全般的指揮をとり、首魁となった。
第二 騒擾の指揮
前記騒擾に際し
一 被告人姜泰俊は西三地区祖防委キャップであったが、
(1) 第一節第二款第五の六(2)認定の通り、同月六日夜民愛青岡崎支部事務所で、同支部員被告人田玉鎮等九名に対し七月七日の講演会に出席することを指示し、翌七日同事務所で火焔瓶約二十個を製造し、
(2) 同第八の三認定の通り、同日辛島パチンコ店で行なわれた県祖防委員等の会合に出席して、七・七歓迎大会後デモを行なって中署、アメリカ村を攻撃し、朝鮮人はアメリカ村に火焔瓶を投込むこと等を協議決定して、朝鮮人部隊の第一隊の指揮者となり、
(3) 同四(2)認定の通り、民愛青名中支部で、被告人田玉鎮等に金億洙を紹介して、「今夜講演会後デモをやるが、この人が指揮をとるからそのいう通りに行動してくれ自由行動は許さない」と指示して火焔瓶を交付し、
(4) 第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外での警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らもデモに加わって上前津に向い、警察の解散措置を受ければ、火焔瓶を使用する意図の下に、同隊列先頭よりやや後方の朝鮮民主主義人民共和国国旗附近に位置し、「わっしょ、わっしょ」と叫んで両手を上下させて隊員を激励しつつ岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
二 被告人岩田弘は日本共産党名大細胞経済学部班キャップであったが、
(1) 七月三日頃、瑞穂区瑞穂町名大嚶鳴寮で、名大細胞指導部島崎某より七・七歓迎大会後行なうデモの際の学生の指揮者となるよう指示を受けてこれを諒承し、
(2) 第一節第二款第六の一の認定の通り、七月五日の隊長会議に出席して、七・七歓迎大会後デモを行ない、中署及びアメリカ村を火焔瓶で攻撃すること等を協議決定し、
(3) 同第七の三認定の通り、翌六日前記名大嚶鳴寮で、被告人渡辺鉱二等と会合して、七・七歓迎大会後被告人岩田弘と渡辺修がデモを行なうためアジ演説を行ない、火焔瓶、手榴弾で中署を攻撃すること等を協議決定し、
(4) 翌七日正午頃右嚶鳴寮で、名大教養学部班に対し、前記アジ演説に使用するため拡声機を準備するよう指示し、
(5) 同第四款第一の三認定の通り、渡辺修のアジ演説に引続いて演壇に登り、司会者の制止を排して、「諸君、今の話を聞いたか、いよいよこれからデモを組もう、実力には実力をもって戦おう」と絶叫して、聴衆を実力をもって中署に抗議すべく煽動し、
(6) これに呼応して右三認定の通り、大須球場内でデモ隊列が組まれて行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らも同じ意図の下に、上前津を経て金山方面へ行く目的をもって、デモ隊の先頭に立ち、「わっしょ、わっしょ」と叫んで気勢を挙げつつ隊列を誘導して球場外に出て、岩井通り四丁目七番地前南側車道附近まで行進した際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊列の先頭にあって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使により分散させられるまで、「わっしょ、わっしょ」と叫んで同通り四丁目六番地附近までこれを誘導し、
三 被告人山田泰吉は民青団名古屋地区委員会キャップであったが、
(1) 第一節第二款第六の一認定の通り、七月五日の隊長会議に出席して、七・七歓迎大会終了後デモを行ない、中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃すること等を協議決定した上、同二認定の通り、同夜清風寮で、吉田昭雄外三名の団員に右隊長会議の指令を伝達して、民青団としては火焔瓶を使用すること等の行動を協議決定し、火焔瓶製造責任者となった小山栄三に、隊長会議で被告人芝野一三から受領したレポを交付し、
(2) 同第七の二(1)認定の通り、翌六日清風寮で、被告人杉浦正康に、前記大会終了後の行動につき班長となって手榴弾班を編成すること等を指示し、同(2)認定の通り、民青団指導部会議を開いて、被告人張哲洙及び同杉浦登志彦に前記隊長会議の決定を説明し、同夜民青団は中署を火焔瓶で攻撃すること、民青団の総指揮は被告人自らが取り、デモ隊の現場指揮は被告人張哲洙、その補佐を被告人杉浦正康とすること等を指令し、
(3) 同第八の一認定正通り、清風寮で、小山栄三、被告人張哲洙、同杉浦正康等に、火焔瓶の大須球場内への搬入及び同球場内における分配につき指示を与え、同夜同球場内において帆足計の演説の終る頃、被告人張哲洙、同杉浦正康の両名に第四款第一の二(4)認定の通り、火焔瓶を同団員等に分配させ、
(4) 同第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、デモ隊が上前津に向い、警察の解散措置を受ければ火焔瓶を使用するとの認識の下に同隊列が岩井通りを東進して、同第一、第二認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれ、警官隊の実力行使により分散させられるまで、民青団員の指揮を取る目的で、デモ隊の先頭よりやや後方の岩井通り南側歩道上をこれと並行して東進し、
以ていずれも他人を指揮したものである。
第三 騒擾の率先助勢
前記騒擾に際し
一 被告人阿部政雄は第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれ、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によりデモ隊が分散させられた後も、同第七認定の通り多数の暴徒が裏門前町交叉点附近で、警備の警官隊に火焔瓶、石等を投擲するのを認識しながら、これを共にする意思をもって、午後十時二十五分頃同通り四丁目七番地前歩道上より、西北方車道上の警官隊に二回投石して暴行し、
二 被告人伊藤弘訓は名古屋中央電報局員であったが、第一節第二款第七の七認定の通り、七月六日被告人石川忠夫の居室で被告人山田順造等が火焔瓶を製造するに当り、内十五、六個の製造を手伝い、同第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組み行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らもこれと同じ意図の下に、火焔瓶二個を持って右隊列先頭附近に加わり、スクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行をするのを認識しながら、これを共にする意思をもって、右南側車道上より右放送車に火焔瓶一個を投げつけて発火させ、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によりデモ隊が一旦分散させられた後も、同第七認定の通り、多数の暴徒が裏門前町交叉点附近で警備の警官隊に石、火焔瓶を投擲する中にあって、同交叉点附近車道上より、西方で警備活動中の警官隊に火焔瓶一個を投げつけ発火させて暴行し、
三 被告人稲森春雄は第二節第一認定の通り、デモ隊が警察放送車に火焔瓶を投げつけて発火させる等の暴行をなし、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使により一旦分散させられた後も、同第七認定の通り、多数の者が裏門前町交叉点附近で、西方の警官隊に罵声を浴びせると共に石、火焔瓶等を投げつけるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、午後十時三十分頃右交叉点西南角附近車道上より同交叉点北西の車道上で警備中の警官隊に火焔瓶一個を投げつけ発火させて暴行し、
四 被告人伊早坂竹雄は七日午後六時頃名古屋市南区所在名古屋鉄道大同駅プラットホームで被告人金仁祚、同丁一南、同王洙性、朴東健、権吾一等に対し、同夜大須球場ので講演会終了後デモが行なわれ、デモ隊の一部が警備の警官隊と衝突して警察官に暴行をするかもしれないと予測しながら、同人等に右デモ隊と共同して暴行させる意思をもって、「大須の演説会が終ってからデモをやり、警察と大きな衝突があるかもしれないが、その時はこのプラカードの竹槍(プラカードの柄の先端を竹槍状に尖らせたもの)で戦ってくれ、柴田の者は一緒に行動してくれ」と指示激励した上、自己の所持するプラカードのうち二本を二名の者に交付し、よって被告人金仁祚、同丁一南、同王洙性等を本件騒擾に参加させ、
五 被告人岩月清は名電報細胞員であったが、第一節第二款第七の七認定の通り、七月六日被告人石川忠夫の居室で被告人山田順造等が火焔瓶を製造するに当り、内十五、六個の製造を手伝い、翌七日都築芳子方より内二個を大須球場に持込み、同第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署に火焔瓶を投げるか、あるいに同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかも知れないと予測しながら、火焔瓶二個を持ってデモ隊列の先頭附近に加わり、スクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、右放送車に火焔瓶一個を投げつけ発火させて暴行し、
六 被告人片山博は名電報細胞キャップであったが、第一節第二款第七の一認定の通り、被告人石川忠夫の居室で名電報細胞指導部会議を開き、七・七歓迎大会後デモを行ない、被告人片山博の合図で火焔瓶を投げること、目標は中署、アメリカ村であること等を協議し、同七認定の通り、同所で被告人山田順造等が火焔瓶を製造するに当り、内十五、六個の製造を手伝い、同第四款第一の二(4)認定の通り、帆足計の演説の頃約十名の名電報細胞員等に火焔瓶約二十個を分配し、宮腰喜助の演説の頃被告人岩間良雄より、「本日決行する、勇気と確信をもってやれ」、との指示激励を受け、これを被告人多田重則等に伝えて激励し、同第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らも同じ意図の下に、上前津方面へ行く目的で、火焔瓶四個、プラカード一本を持ってデモ隊列の先頭附近に加わり、スクラムを組んで「わっしょ、わっしょ」と叫びながら岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行をするのを認識しながら、これを共にする意思をもって、右放送車に火焔瓶二個を投げつけ発火させ、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によりデモ隊が一旦分散させられた後も、多数の暴徒と共に、同第四認定の通り、前記空地東の道路上より北方の岩井通り車道上で警備活動中の警官隊に火焔瓶一個を、同第七認定の通り、裏門前町交叉点附近で警備活動中の警官隊に同交叉点南方より火焔瓶二個(内一個は被告人多田重則より受取ったもの)を投げつけ発火させて暴行し、
七 被告人金甲仙は七・七歓迎大会後のデモ行進の際、警官隊と衝突して負傷者が出る場合を予想して、三角巾、包帯、マーキロ等を持って大須球場に赴いたが、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行を行ない、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によりデモ隊が一旦分散させられた後も、同第七認定の通り、暴徒が裏門前町交叉点附近で、警備の警官隊に火焔瓶、石を投げる等の暴行をするのを認識しながら、これを共にする意思をもって、午後十時三十分過頃同交叉点東北角よりやや東の岩井通り北側歩道上から、南方車道上で警備活動中の警官隊に二、三回投石して暴行し、
八 被告人金寿顕は同日民愛青名中支部で、第一節第二款第八の四(2)認定の通り、同夜中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃することを指示され、火焔瓶一個を受取って大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村に火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らもこれと同じ意図の下に、右隊列の中央附近に加わってスクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫びながら岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、同所附近の車道上へ火焔瓶一個を投げつけ発火させて暴行し、
九 被告人須田康弘は第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれ、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によりデモ隊が分散させられた後も、同第四認定の通り、多数の者が同通り四丁目八番地空地及びその附近より警備の警官隊に罵声を浴びせ、火焔瓶、石等を投げつけるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、午後十時五十分頃同通り四丁目十一番地ワシノ精機株式会社前附近車道上で、折柄その北側車道を西進していた警備活動中の警察の自動車に投石して暴行し、
十 被告人多田重則は名電報細胞指導部員であったが、第一節第二款第七の一認定の通り、七月六日被告人石川忠夫の居室で行なわれた名電報細胞指導部会議に出席して、七・七歓迎大会後デモを行ない、中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃すること等を協議し、同七認定の通り、同所で、被告人山田順造等と共に火焔瓶約三十五個を製造して、翌七日都築芳子方より内十個位を大須球場に持込み、同第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組み行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らも同じ意図の下に、上前津へ行く目的をもって、火焔瓶三個を持って右隊列の先頭附近に加わり、スクラムを組んで「わっしょ、わっしょ」と叫びながら岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行をするのを認識しながら、これを共にする意思をもって、放送車の後方に向って火焔瓶一個を投げつけ発火させて暴行し、
十一 被告人趙国来は第二節第一認定の通り、デモ参加者多数が警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行をし、同第一、第二認定の通り、デモ隊が警官隊の実力行使により一旦分散させられた後も、同第四認定の通り、多数の暴徒が警備の警官隊に火焔瓶、石等を投擲するのを認識しながら、これを共にする意思をもって、午後十時五十分頃岩井通り四丁目八番地空地東側路上の、岩井通りより約十米南に入った地点附近より、北方岩井通り車道上で警備に従事中の警官隊に投石して暴行し、
十二 被告人張哲洙は民青団愛知県委員会指導部員であったが、第一節第二款第七の二(2)認定の通り、六日清風寮で民青団指導部会議を開き、被告人山田泰吉より隊長会議の決定の説明を受け、大会当夜はデモを行ない、中署、アメリカ村を火焔瓶等で攻撃すること、被告人張哲洙を民青団のデモ隊の現場指揮者とすること等を指示されてこれを引受け、同第八の一認定の通り、翌七日岩井橋附近から小山栄三等と共に火焔瓶二十数個を球場内に持込み、同第四款第一の二(4)認定の通り、帆足計の演説の終る頃、被告人杉浦正康と協議して、被告人金永述等約十名の民青団員等に火焔瓶約十個を分配し、同第一の三認定の通り、多衆がデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村に火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測しながら、デモ隊列の前部に加わってスクラムを組み、赤旗を振りつつ「わっしょ、わっしょ」と気勢を挙げて岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれたため、デモ隊員の一部が車道南方へ退避しようとして混乱を生じたので、これに対し、右暴行するもの等と共にする意思をもって、旗を横にして「列を崩すな」「逃げるな」と叫んで隊列の建て直しに努め、
十三 被告人南相万は東三地区祖防委キャップであったが、七月初頃県祖防委キャップ被告人閔南採から、「七日大須球場で開催される帆足等報告大会に東三地区の青年を動員参加せよ」との指令を受け、同月七日被告人梁一錫、同林元圭、同朴正熙等五名を引率して名古屋市中村区泥江町所在の県祖防委本部に到り、第一節第二款第八の三認定の通り、国鉄名古屋駅西辛島パチンコ店二階で行なわれた祖防委員等の会合に出席して、同夜の大会終了後デモを行ない、中署、アメリカ村を攻撃して火焔瓶を投げつけること、及び被告人は朝鮮人部隊第二隊の副隊長になること等を指示されて諒承し、同四(1)認定の通り、前記県祖防委本部で被告人林元圭、同朴正熙等四名に、大会終了後デモをやり中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃すると指示して火焔瓶を分配し、自らも二個を持って大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村に火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げる等の暴行をすることを予測し、自らもこれと同じ意図の下に、火焔瓶二個を持って右隊列中央附近に加わり、スクラムを組んで「わっしょ、わっしょ」と気勢を挙げつつ岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前附近車道上にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
十四 被告人林学は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測し、自らもこれと同じ意図の下に、火焔瓶一個を持って右隊列に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、同所附近南側歩道より同放送車附近の車道上に、火焔瓶一個を投げつけ発火させて暴行し、
十五 被告人林行美は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、同球場東入口附近で右隊列の中央附近に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊列に加わって行進を続け、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられて右空地へ逃げた後、同第四認定の通り、同空地及びその附近より警備の警官隊に火焔瓶、石等を投擲している多数の者と共にする意思をもって、右空地東方の田中自転車店の裏より、同家の屋根越しに北方岩井通り車道上の警官隊に瓦の破片四個位を投げつけて暴行し、
十六 被告人方甲生は同日民愛青名中支部で、第一節第二款第八の四(2)認定の通り、同夜中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃することを指示され、火焔瓶二個を受取って大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村に火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測しながら、自らもこれと同じ意図の下に、右隊列中央やや後方に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目二番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、同所附近車道上より警官隊がいると思われた左前方に向って、火焔瓶二個を投げつけ発火させて暴行し、
十七 被告人朴昌吉は第一節第二款第八の一認定の通り、被告人呂徳鉉等と共に岩井橋から大須球場内に火焔瓶二十数個を持込み、同第四款第一の三認定の通り、多衆が右球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村に火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測し、自らもこれと同じ意図の下に、火焔瓶一個を持って右隊列に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、大須交叉点を通り過ぎた後、第二節第一、第二認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれ、警官隊の実力行使によりデモ隊が一旦分散させられた際、被告人も同通り四丁目十二番地附近歩道に後退したが、前記暴行をする者等と共にする意思をもって、車道上を西進してきた警察官に火焔瓶一個を投げつけ発火させて暴行し、
十八 被告人朴柄釆は第二節第一、第二認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれ、警官隊の実力行使によりデモ隊が一旦分散させられた後も、同第四認定の通り、多数の暴徒が警備の警察官に火焔瓶、石を投擲するのを認識しながら、これを共にする意思をもって、大須交叉点西南角やや西寄りの地点より、その東北方で警備活動中の警官隊に火焔瓶一個を投げつけ発火させて暴行し、
十九 被告人水谷謙治は市V・S部被告人加藤和夫指揮下の党専従員候補であったが、
(1) 第一節第二款第三の二認定通り、七月二日頃前記前衛書房で、被告人加藤和夫より、七・七歓迎大会後デモを行なうためピケを組織して警察の警備状況を調査報告すること等を指令され、明和細胞を中心とする民青団明和班を動員して情報を収集することを決意し、
(2) 同第六の三認定の通り、同月五日東区神楽町被告人水野雅夫方で行なわれた明和細胞会議で、前記大会後デモを行ない、中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃するため、警察の動きを調査報告することを説明指示して、ピケの人選、拠点等について協議決定し、
(3) 同第七の四認定の通り、同月七日被告人安藤宏に対し、収集した情報は正午から一時間毎に伊藤明人方に位置する被告人水谷謙治に報告することを指示し、
(4) 前記大会終了後行なわれるデモでは、デモ隊が火焔瓶で中署、アメリカ村を攻撃するか、あるいは警備の警官隊に火焔瓶を投げつける等の暴行をするかも知れないことを予測しながら、デモ隊の犠牲を少なくし、その行動を容易にさせる目的をもって、同第八の五認定の通り、七日午前十一時頃から午後十時頃までの間、前記伊藤明人方に位置して、被告人安藤宏外八名を指図して得た警察の警備状況に関する情報を、伊藤明人方で、中間機関の連絡員水畑茂(椋梨)の妻及び被告人加藤和夫等に報告し、或は被告人吉田公幸を中間機関に赴かせて報告し、よって地下指導部の被告人永田末男等が警察の警備態勢に応じた行動をするための情報を提供し、
二十 被告人宮川昭一は第二節第一認定の通り、デモ参加者多数が警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行をし、同第一、第二認定の通り、デモ隊が警官隊の実力行使により一旦分散させられた後も、同第四認定の通り、多数の暴徒が警備の警官隊に火焔瓶、石等を投擲するのを認識しながら、これを共にする意思をもって、午後十時五十分頃岩井通り四丁目八番地空地東側路上の、岩井通りより約十米南に入った地点附近から北方岩井通り車道上で警備に従事中の警官隊に投石して暴行し、
二十一 被告人宮村治は第一節第四款第三の一認定の通り、岩井通りを東進するデモ隊に加わって進み、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれ、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によってデモ隊が一旦分散させられた後も、同第五認定の通り、暴徒が大須交叉点附近で警備活動中の警官隊に火焔瓶、石等を投擲するのを認識しながら、これを共にする意思をもって、午後十時三十分頃同交叉点東北角附近車道上より、南方の警官隊に火焔瓶一個を投げつけ車道上で発火させて暴行し、
二十二 被告人宮脇寛は同日岡崎自労事務所内の被告人姜泰俊方で、同被告人外数名と共に、右大会終了後行なうデモで警察官と衝突した時に使用する目的をもって火焔瓶約二十個を製造し、うち一個を持って同日午後六時半頃大須球場に到り、第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らもこれと同じ意図の下に、右隊列に加わって岩井通りを東進し、同通り四丁目二番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、同所附近路上に火焔瓶一個を投げつけ発火させて暴行し、
二十三 被告人杢野直二は岩井通り四丁目八番地空地前南側車道附近で同通りを東進するデモ隊列に加わり、スクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで約十米行進した際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれたが、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によりデモ隊が一旦解散させられると同時に被告人も前記空地に逃込み、同第四認定の通り、多数の暴徒が右空地及びその附近より岩井通り車道上の警官隊に火焔瓶、石等を投擲するのを認識しながら、これを共にする意思をもって、午後十時五十分頃右空地東の路地より、岩井通り車道上の警官隊に投石して暴行し、
二十四 被告人山田順造は名電報細胞軍事担当者であったが、第一節第二款第六の一認定の通り、七月五日の隊長会議に出席して、七・七歓迎大会終了後デモを行ない、中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃すること等を協議決定した上、同第七の一認定の通り、翌六日開かれた名電報細胞指導部会議で、右隊長会議の結果を報告し、被告人片山博の合図により火焔瓶を投げること、目標は中署、アメリカ村であること等を協議し、同七認定の通り、同所で、被告人石川忠夫等と共に、火焔瓶合計約三十五個を製造し、同第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らも同じ意図の下に、上前津方面へ行く目的で、火焔瓶三個及びプラカード一本を持って右隊列先頭附近に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一、第二認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれ、警官隊の実力行使によりデモ隊が一旦分散させられた後も、同第七認定の通り、多数の暴徒が裏門前町交叉点附近で警備の警察官に火焔瓶、石を投げつける等の事実を認識しながら、これを共にする意思をもって、同交叉点附近の北側歩道附近より、西方で警備活動中の警官隊に火焔瓶一個を投げつけて発火させ、次いでその北方の裏門前町通りと仁王門通り交叉点附近より、多数の暴徒と共に、南方で警備活動中の警官隊に十数回投石して暴行し、且つ「馬鹿野郎」「それでも日本人か」等と怒号し、
二十五 被告人横井政二は第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれ、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によりデモ隊が一旦分散させられた後も、同第七認定の通り、多数の者が裏門前町交叉点附近で警備の警官隊に罵声を浴びせ、火焔瓶、石を投げつけるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、午後十時三十分頃右交叉点北西角附近で警備活動中の警官隊に対し、その北方約三十米の裏門前町通り路上より、附近の群衆と共に投石して暴行し、
二十六 被告人横江護は第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これら暴行をする者と共にする意思をもって、午後十時三十分頃上前津交叉点南の市電停留所西方車道上より、同交叉点西の市電停留所附近で警備中の警官隊に投石して暴行し、
二十七 被告人李圭元は民愛青岡崎支部員であったが、民愛青名中支部で、第一節第二款第八の四(2)認定の通り、同夜中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃することを指示され、火焔瓶一個を受取って大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村に火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らもこれと同じ意図の下に、右隊列の中央やや前部に加わって、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行をするのを認識しながら、これを共にする意思をもって、右放送車附近にいた警備の警察官に火焔瓶一個を投げつけ、附近路上で発火させて暴行し、
二十八 被告人李聖一は第三節で認定した通り、鶴舞公園内駐留車自動車の攻撃に参加した後大須球場に赴き、第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測し、自らもこれと同じ意図の下に、火焔瓶一個を持って右隊列に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊の一部の者が同車道上にあった乗用車二台に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行をするのを認識しながら、これを共にする意思をもって、浅井忠文管理の乗用車の運転台ドア附近に火焔瓶一個を投げつけ発火させて暴行し、
二十九 被告人梁一錫は東三地区祖防隊員であったが、第一節第二款第八の三認定の通り、辛島パチンコ店二階で行なわれた祖防委員等の会合に出席して、同夜大会終了後デモを行ない、中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃することを指示され、同四(1)認定の通り、前記県祖防委本部で被告人林元圭等にこれを伝えた上、火焔瓶二個を受取って大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村へ火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らもこれと同じ意図の下に、右隊列中央附近に加わって岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、同所附近北側歩道より、南側車道に火焔瓶二個を投げつけ発火させて暴行し、
三十 被告人林元圭は東三地区祖防隊員であったが、第一節第二款第八の四(1)認定の通り、県祖防委本部で、被告南相万より大会終了後デモを行ない中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃することを指示され、火焔瓶二個を受取って大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村に火焔瓶を投げ込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らもこれと同じ意図の下に、右隊列中央附近に加わって岩井通りを東進し、同通り四丁目十番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、同通り四丁目三番地附近の北側歩道より、南側空地前に駐車してあった浅井忠文管理の乗用車に、火焔瓶一個を投げつけ発火させて暴行し、
以ていずれも率先して本件騒擾の勢を助けたものである。
第四 騒擾の附和随行
前記騒擾に際し
一 被告人池田嘉輝は民青団員であったが、第一節第二款第七の二(1)認定の通り、七月六日夜清風寮で、被告人山田泰吉、同杉浦正康より手榴弾班になることを命ぜられ、翌七日第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかも知れないと予測しながら、右隊列の前部に加わってスクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
二 被告人板坂宗男は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、プラカードを一本持って右隊列先頭から十数列目に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目四番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
三 被告人井上信秋は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、右隊列前部に加わってスクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
四 被告人王洙性は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、右隊列の先頭よりやや後ろに加わってスクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
五 被告人小野芳二は第一節第四款第一の三、同第三の一認定の通り、大須球場内でデモ隊列が組まれて岩井通りを東進し、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれたのに引続き、同第一、第二、第五認定の通り、デモ隊が岩井通りの路上から一旦分散させられた後も、多数の暴徒が同通りを中心とする附近一帯を警備中の警官隊に火焔瓶、石等を投げつけ暴行するのを認識しながら、これを共にする意思をもって、午後十時三十分頃大須交叉点附近で、門前町通りを右交叉点に向って北方から行進してきた警察の自動車に乗っている警備の警察官に対し、「税金泥棒」と叫び、
六 被告人河泰文は民愛青岡崎支部員であったが、同日前記民愛青名中支部で、第一節第二款第八の四(2)認定の通り、同夜中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃することを指示され、火焔瓶一個を受取って大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村に火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らもこれと同じ意図の下に、右隊列中央やや前附近に加わって岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
七 被告人姜禹錫は第二節第一認定の通り、岩井通りを東進したデモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、デモ隊の中に居て共に行進し、岩井通り四丁目七番地附近南側車道において右放送車に近寄り、
八 被告人金英吾は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測しながら、右隊列の後部に加わり、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、大須交叉点東南角附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
九 被告人金永述は民青団員であったが、第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村を攻撃するか、又は同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかも知れないと予測し、自らもこれと同じ意図の下に、同球場内で受取った火焔瓶一個を持ってデモ隊列の前部に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
十 被告人金順伊は、同姜泰俊等が七月七日午前九時頃岡崎市康生町岡崎自労事務所附近で火焔瓶の実験をしたことや、同夜大須球場内で朝鮮人婦人が包帯を分配していたのを見たり、鶴舞公園の駐留軍自動車を火焔瓶で攻撃したことを聞いて、第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測しながら、右隊列後部に加わってスクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、大須交叉点南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
十一 被告人金仁祚は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、右隊列の先頭よりやや後ろに加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
十二 被告人金点守は民愛青愛知支部員であったが、第一節第二款第四の一認定の通り、七月三日夜開かれた民愛青愛知支部総会に出席し、金点竜から指示を受けて同月七日夜大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予測しながら、右隊列に加わり「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
十三 被告人金炳根は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測しながら、右隊列に加わってスクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、大須交叉点附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
十四 被告人金優は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測しながら、右隊列に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
十五 被告人纐纈伸二は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村へ行って投石するか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかも知れないと予想しながら、右隊列の中央附近に加わって、自らも投石する意図の下に、同球場東門附近で小石数個を拾い「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前附近より少し東にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
十六 被告人小島進は第一節第四款第三の一認定の通り、岩井通りを東進するデモ隊の先頭附近に、同通り四丁目八番地空地前南側車道附近で加わって、数十米行進した際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わり、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、その後裏門前町交叉点附近で、その西方にいる警官隊に投石したり、「馬鹿野郎」、「税金泥棒」等と叫んでいる群衆の中にあって、右警官隊に対し、「それでも日本人か」と罵声を浴びせ、
十七 被告人小林清人は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、右隊列後部に加わって岩井通りを東進し、同通り四丁目十三番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
十八 被告人近藤昭二は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかも知れないと予想しながら、岩井通り三丁目十六番地明治生命ビル前附近でデモ隊列に加わって同通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わり、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
十九 被告人崔漢洛は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、右隊列の先頭からやや後ろに加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
二十 被告人酒井博は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、右隊列に加わり、同第三の一認定の通り、デモ隊が岩井通りを東進するときは同隊列最前列の右端について行進し、同通り四丁目七番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
二十一 被告人杉浦登志彦は民青団員であったが、第一節第二款第七の二(2)認定の通り、七月六日清風寮で、被告人山田泰吉より隊長会議の結果の報告を受けると共に同項記載の通りの指示を受け、翌七日第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村に火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかも知れないと予測しながら、デモ隊列左横について「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目二番地附近車道上にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
二十二 被告人宋章憲は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、右隊列後部に加わって岩井通りを東進し、同通り四丁目十三番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
二十三 被告人高田英太郎は民青団員であったが、第一節第四款第一の三、同第三の一認定の通り、大須球場内でデモ隊列が組まれて岩井通りを東進し、第二節第一、第二認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれ、警官隊の実力行使によりデモ隊が一旦岩井通りの路上から分散させられた後も、同第七認定の通り、多数の暴徒が裏門前町交叉点附近一帯を警備中の警官隊に、火焔瓶、石等を投げつけて暴行し、あるいは罵声を浴びせるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、同日午後十時三十分頃同交叉点北側附近の警察官に対し、その北方から投石したり、「殺すぞ」「売国奴」等と叫んでいる多数の群衆の背後から、「殺されるぞ」と叫んで脅迫し、
二十四 被告人竹川登介は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測しながら、火焔瓶一個を持って右隊列に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目十番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
二十五 被告人田島トミ代は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測し、自らもこれと同じ意図の下に、火焔瓶一個を持って右隊列前部に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
二十六 被告人趙在奎は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測しながら、右隊列中央やや前部に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
二十七 被告人沈宜元は民愛青愛知支部員であったが、第一節第二款第四の一認定の通り、七月三日夜開かれた民愛青愛知支部総会に出席し、金点竜から指示を受けて同月七日夜大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかも知れないと予測しながら、右隊列に加わって岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
二十八 被告人丁一南は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、右隊列の先頭よりやや後ろに加わってスクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
二十九 被告人田玉鎮は民愛青岡崎支部委員長であったが、同日民愛青名中支部で、第一節第二款第八の四(2)認定の通り、同夜中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃することを指示され、火焔瓶一個を受取って大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村に火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らもこれと同じ意図の下に、右隊列中央前部に加わってスクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
三十 被告人中本章は第一節第二款第七の七認定の通り、都築芳子方から火焔瓶二個を大須球場内に持込み、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測し、自らもこれと同じ意図の下に、火焔瓶二個を持ってデモ隊列の先頭附近に加わってスクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
三十一 被告人野副勲は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、右隊列に加わって岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地より少し東の南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
三十二 被告人平井春雄は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、右隊列前部に加わりスクラムを組んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使により分散させられるまで行進を続けた後、同所附近岩井通り北側歩道において附近の群衆と共に警官隊に対し、「税金泥棒、殺すぞ、馬鹿野郎、やっちまえ、やっちまえ」と怒号して脅迫し、
三十三 被告人朴孝栄は東三地区祖防隊員であったが、第一節第二款第八の四(1)認定の通り、同日県祖防委本部で、同夜中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃することを指示され、火焔瓶二個を受取って大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村へ火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測し、自らもこれと同じ意図の下に、右隊列中央附近に加わって岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
三十四 被告人朴寧勲は民愛青岡崎支部員であったが、同日民愛青名中支部で、第一節第二款第八の四(2)認定の通り、同夜中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃することを指示され、火焔瓶一個を受取って大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村に火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らもこれと同じ意図の下に、右隊列中央前部に加わり、スクラムを組んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
三十五 被告人朴寧国は民愛青岡崎支部員であったが、同日民愛青名中支部で、第一節第二款第八の四(2)認定の通り、同夜中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃することを指示され火焔瓶一個を受取って大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村に火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らもこれと同じ意図の下に、右隊列中央前部に加わりスクラムを組んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
三十六 被告人朴文圭は民愛青岡崎支部員であったが、同日民愛青名中支部で、第一節第二款第八の四(2)認定の通り、同夜中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃することを指示され火焔瓶二個を受取って大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村に火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をすることを予測し、自らもこれと同じ意図の下に、右隊列の中央やや前部に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
三十七 被告人朴与今は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、大須交叉点附近で隊列先頭から二、三十列目に入ってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
三十八 被告人丸山真兵は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予測しながら、右隊列の先頭から、七、八列目に加わってスクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
三十九 被告人水野裕之は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかも知れないと予想しながら右隊列に加わり、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目十二番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
四十 被告人山口昭三は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、右隊列の左側について岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
四十一 被告人吉田三治は第一節第二款第七の七認定の通り、火焔瓶十五、六個の製造を手伝い、内十個を大須球場内に持込み、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかも知れないと予測し、自らもこれと同じ意図の下に、火焔瓶二個を持って右隊列前部に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前附近車道上にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
四十二 被告人李永守は第一節第二款第八の四(1)認定の通り、同日県祖防委本部で、同夜中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃することを指示され、火焔瓶二個を受取って大須球場に赴き、同第四款第一の三認定の通り、多衆が同球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が中署、アメリカ村へ火焔瓶を投込むか、あるいは同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測し、自らもこれと同じ意図の下に、右隊列中央附近に加わって岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わって、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
四十三 被告人呂徳鉉は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して火焔瓶を投げつける等の暴行をするかもしれないと予測し、自らもこれと同じ意図の下に、火焔瓶一個を持って右隊列前部に加わってスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかった際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもって、引続きデモ隊に加わり、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によって分散させられるまで行進を続け、
以ていずれも本件騒擾に附和随行したものである。
第五 外国人登録法(令)違反
一 被告人朴柄釆は朝鮮に国籍を有する外国人であるが、昭和二十五年一月二十八日頃京都市左京区長に申請し、同日同区長より金玉均名義の外国人登録証明書の交付を受けたのに拘らず、さらに同月三十一日愛知県西加茂郡挙母町長に対し、朴柄釆名義で外国人登録証明書の交付を申請し、もって二つ以上の市町村長に登録証明書の交付を重ねて申請し、
二 被告人尹華俊、同尹鳳俊、同金甲仙、同金仁祚、同金点守、同宋章憲、同田参竜、同田石万、同李日碩はいずれも朝鮮に国籍を有する外国人であるが、法定の除外事由がないのに、昭和二十七年七月七日夜名古屋市中区門前町七丁目六番地大須球場等において外国人登録証明書を携帯しなかった。
第二章 証拠の標目
第一節~第四節≪省略≫
第五節 刑法第四十五条の確定裁判と累犯前科
第一 刑法第四十五条の確定裁判
一 被告人姜泰俊は昭和三十七年五月二日津地方裁判所で贈賄罪により懲役六月に処せられ、右裁判は同年五月十七日確定し、
二 被告人金仁祚は昭和三十年四月二十八日名古屋地方裁判所で窃盗罪により懲役一年、三年間執行猶予に処せられ、右裁判は同年五月十三日確定し、
三 被告人崔秉祚は昭和三十三年十月二十七日名古屋高等裁判所で邸宅侵入、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反により懲役六月に処せられ、右裁判は昭和三十七年九月八日確定し、
四 被告人丁一南は昭和三十年六月六日名古屋簡易裁判所で窃盗罪により懲役十月、四年間執行猶予に処せられ、右裁判は同月二十一日確定し、
五 被告人田石万は昭和三十二年五月二十一日東京地方裁判所八王子支部で賍物故買罪により懲役八月、三年間執行猶予及び罰金一万円に処せられ、右裁判は同年七月五日確定し、
六 被告人南相万は昭和三十三年九月十日名古屋高等裁判所で放火未遂、公務執行妨害罪により懲役三年に処せられ、右裁判は昭和三十五年四月五日確定し、
七 被告人朴泰俊は昭和三十三年十月十八日名古屋地方裁判所で窃盗、賍物牙保罪により懲役一年二月及び罰金三千円に処せられ、右裁判は同年十二月二十七日確定し、
八 被告人宮脇寛は昭和三十二年二月十八日名古屋高等裁判所で建造物侵入、職務強要罪により懲役六月、三年間執行猶予に処せられ、右裁判は同年三月五日確定し、
九 被告人李永守は昭和三十一年十二月二十日名古屋地方裁判所で放火未遂罪により懲役二年、三年間執行猶予に処せられ、右裁判は昭和三十三年九月二十五日確定し、
十 被告人李炳元は昭和三十一年九月一日名古屋地方裁判所で暴行、横領、傷害、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反により懲役一年、四年間執行猶予及び罰金五千円に処せられ右裁判は同月十六日確定し、
十一 被告人梁一錫は昭和三十一年十二月二十日名古屋地方裁判所で放火未遂罪により懲役二年六月、四年間執行猶予に処せられ、右裁判は昭和三十三年九月二十五日確定したもので、一及び八の事実は各検察事務官作成の被告人姜泰俊、同宮脇寛の前科調書により、その余の事実は各検察事務官作成の被告人金仁祚、同崔秉祚、同丁一南、同田石万、同南相万、同朴泰俊、同李永守、同李炳元、同梁一錫の前科照会回答書により明らかである。
第二 累犯前科
一 被告人鄭恢は昭和二十四年五月七日名古屋地方裁判所で窃盗罪により懲役一年六月に処せられ(同年九月三十日確定)、当時右刑の執行を受け終ったもので、右事実は検察事務官作成の同被告人の前科照会回答書により明らかであり、
二 被告人方甲生は昭和二十四年九月二十八日名古屋地方裁判所で窃盗罪により懲役二年に処せられ(同年十月四日確定)、当時右刑の執行を受け終ったもので、右事実は検察事務官作成の同被告人の前科調書により明らかであり、
三 被告人朴柄釆は昭和二十六年八月十六日名古屋地方裁判所で恐喝、学校教育法違反により懲役八月に処せられ(同月三十一日確定)、当時右刑の執行を受け終ったもので、右事実は検察事務官作成の同被告人の前科調書により明らかである。
第三章 法令の適用
第一 騒擾の首魁
被告人加藤和夫、≪以下被告人名六名省略≫の騒擾の所為は刑法第百六条第一号。懲役刑選択。
第二 騒擾の指揮
被告人岩田弘、≪以下被告人二名省略≫の騒擾の所為は刑法第百六条第二号前段。懲役刑選択。
第三 騒擾の率先助勢
被告人阿部政雄、≪以下被告人名二九名省略≫の騒擾の所為は刑法第百六条第二号後段。懲役刑選択。
第四 騒擾の附和随行
被告人池田嘉輝、≪以下被告人名四二名省略≫の騒擾の所為は刑法第百六条第三号、罰金等臨時措置法第二条、第三条。
第五 外国人登録法(令)違反
一 被告人尹華俊、≪以下被告人名九名省略≫の外国人登録法違反の所為は昭和三十一年法律第九十六号による改正前の外国人登録法第十三条第一項、第十八条第一項第七号、罰金等臨時措置法第二条。被告人金甲仙につき懲役刑、その余の被告人につき罰金刑選択。
二 被告人朴柄釆の外国人登録令違反の所為は同令第四条第三項、昭和二十四年政令第三百八十一号外国人登録令の一部を改正する政令附則第二項、第五項第三号、罰金等臨時措置法第二条。懲役刑選択。
第六 放火未遂
被告人安俊鎬、≪以下被告人名五名省略≫の放火未遂の所為は刑法第百八条、第百十二条、第六十条。有期懲役刑選択。
第七 暴力行為等処罰ニ関スル法律違反
被告人安時煥、≪以下被告人名九名省略≫の暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の所為は同法第一条第一項(昭和三十九年法律第百十四号による改正前のもの、同改正法附則第二項)、罰金等臨時措置法第二条、第三条。懲役刑選択。
検察官は判示第三節第二の駐留軍自動車に対する火焔瓶による攻撃を、刑法第百十条第一項の放火罪として起訴した。然しながら、公会堂南側にあった乗用車四台の損壊状況は判示の通りであって、火焔瓶の破裂に基く火焔により焼燬した部分がないことが明らかである。問題になるのは同東側のジープ一台であるが、これについては西部時夫作成の実況見分調書に「ジープは内部焼失」と記載してあり、第百四十五回公判調書中に西部時夫の証言として、「ジープの内部はほとんど全焼しておりました」との記載があるけれども、これでは焼失の具体的事実が判明しない。そして判示事実の証拠として掲げた被害者等の被害上申書、右実況見分調書添付の番号五、六の写真と、現場写真綴中の番号二十二乃至二十五の写真を検討すると、ハンドル部分が熱(恐らくは焔の)により少し溶融したこと、運転席附近の車体の外部に濃硫酸によって黒く変色した部分があり、鉄製と思料される運転席附近が濃硫酸及び火焔瓶の発火に基く火焔によって黒色に変化したと思われる部分があること、火焔を消すために使用した消火剤の痕跡が車体の内外に多量に見られることだけで、以上いずれによっても、自動車自体が、発火した火焔瓶の焔の力を借りずに独立して燃焼を継続し得る状態に至ったことの証明とはなし難く、比較的燃え易いのではないかと思われる屋蓋部分にも異常が認められない。ただ坐席のシートが見当らないので、どのようになったのか不明であるが、燃え屑が認められないところから見て、焼失したのではなく、恐らく車外に放り出されたものと考えるのが相当である。以上の通りであるから、放火罪は成立しないけれども、右訴因の範囲内において、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条が規定する、数人共同して刑法第二百六十一条の物を損壊した罪の成立を認めることができ、訴因変更の手続を経なくても被告人の防禦に不利益を生ずるおそれがないので、判示の通り認定した。
第八 刑法第四十五条の確定裁判
被告人姜泰俊、≪以下被告人名一〇名省略≫につき刑法第四十五条後段、第五十条。
第九 累犯加重
被告人鄭恢、同方甲生、同朴柄釆につき刑法第五十六条第一項、第五十七条。被告人鄭恢につきなお同法第十四条。
第十 未遂減軽
被告人安俊鎬≪以下被告人名五名省略≫につき刑法第四十三条本文、第六十八条第三号。
第十一 併合加重と刑の併科
一 被告人金由仙の騒擾(率先助勢)と外国人登録法違反、同李聖一の騒擾(率先助勢)と暴力行為等処罰ニ関スル法律違反につき刑法第四十五条前段、第四十七条、第十条。いずれも重い騒擾罪の刑に加重。
二 被告人金仁祚、同金点守、同宋章憲の騒擾(附和随行)と外国人登録法違反につき刑法第四十五条前段、第四十八条第二項。
三 被告人金炳根の騒擾(附和随行)と放火未遂、被告人金英吾、同趙在奎の騒擾(附和随行)と暴力行為等処罰ニ関スル法律違反につき刑法第四十五条前段、第四十八条第一項本文。
第十二 酌量減軽
被告人阿部政雄、≪以下被告人名一五名省略≫につき刑法第六十六条、第七十一条、第六十八条第三号。
第十三 未決勾留日数の算入
被告人芝野一三、同永田末男、同渡辺鉱二につき刑法第二十一条。
第十四 換刑処分
被告人池田嘉輝、≪以下被告人名四七名省略≫につき刑法第十八条。
第十五 執行猶予の宣言
被告人阿部政雄、≪以下被告人名九六名省略≫につき刑法第二十五条第一項。
第十六 訴訟費用の負担の免除
被告人芝野一三、同永田末男、同渡辺鉱二及び第十五に掲げた被告人(結局有罪と認めた全被告人)につき刑事訴訟法第百八十一条第一項但書。
第十七 弁護人等の刑事訴訟法第三百三十五条第二項の主張に対する判断
一 弁護人は被告人安俊鎬等の東税務署に対する放火未遂被告事件につき、同署は木造二階建であるが、外側は防火構造になっており、窓にはすべて金網を張りめぐらしてあって、外から火焔瓶を投げつけても建物の内部には入らない状態になっており、外に落ちた瓶から火を発したとしても、火焔瓶の性能から見て建物の壁に燃え移る可能性がないので、建物の焼燬が絶対的に不能であるから、同被告人等の行為は不能犯であると主張する。なるほど、≪証拠省略≫によれば、同署は木造建築で、外側は防火構造になっていて、窓に金網が張られているけれども、西側(正面に向って右側)の硝子窓に張ってある金網は右上角が外れて垂れ下っていて、その内側の窓硝子七枚が破損し、その破片が屋内に散乱して、屋外窓下には火焔瓶が転がっている状態が認められるので、右金網が垂れ下ったことも窓硝子の破損も、火焔瓶の投擲によるものと考えられるから、金網が張ってあってもこれを破って火焔瓶が屋内に投入されることは十分に可能であり、屋内に投入されれば、木造建物であるため焼燬の結果を生ずることは言うまでもない。従って弁護人の右主張は採用しない。
二 被告人李聖一の弁護人は、同被告人が鶴舞公園で駐留軍自動車に火焔瓶を投げつけていないから中止犯である旨主張するが、第二章第三節二に掲げた各証拠によると、他の共犯者が公会堂正面にあった自動車に火焔瓶を投げつけ火の手が上がったのを見て、直ぐ逃げないと捕えられると思って、火焔瓶を投げずに現場から逃走したことが認められるばかりでなく、それは既に共犯者によって犯罪の一部が実行され、結果の一部が発生した後のことであって、中止犯にはならないから、右主張は採用しない。
三 第七百九十二回公判期日において、被告人永田末男は、被告人たちには期待可能性が存在しない旨を主張するかのようにみえるが、その主張を詳細に検討すると、それは同被告人を除く他の被告人のための主張であることが明らかである。然しながら、同被告人は他の被告人のための弁護権を持たないことは勿論、同期日の同被告人の陳述は他の被告人を代表しての陳述ではなく、自分一個人の見解であると自ら主張しており、他の被告人の弁護人は、同被告人の右陳述を、他の被告人に援用することを拒否しているのであるから、被告人永田末男の右主張については判断をする必要がない。
第四章 無罪に関する説明
第一 本件騒擾は第一章第二節で説明した通り、七月七日午後十時五分乃至十分頃岩井通り車道上で、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶、石等を投げつけた時に始まるのである。検察官は、大須球場内で火焔瓶、竹槍等を持った千数百名の集団が、「中署へ行け」、「アメリカ村へ行け」、「やっつけろ」等と怒号しながらスクラムを組み、喚声を挙げて蛇行した行動も、聴衆、附近住民、治安機関に対する脅迫行為で騒擾になると主張する。なるほど、右球場内で右のような物を持った者を含むデモ隊列が組まれた時、場内各所からそのような叫びが起り、喚声を挙げて行進したことは前認定の通りであるが、その怒号は中署、アメリカ村へ行くこと、警察をやつけることを内容としていて、聴衆や附近住民を対象としていないことは明らかであるから、これらの者に対する脅迫行為と考えることはできない。それでは治安機関(主として警察)に対する脅迫になるかというと、右怒号は、第二百六十一、二百七十五回公判調書中の証人山田天三の供述記載によると、球場南側塀外の民家二階で場内の情況を注視していた同証人が、これを聞いて中署に報告したことが認められるけれども、受命裁判官の証人伊藤栄、同林勇平に対する各尋問調書によれば、その頃同球場の周辺で場内の模様を警戒していた同証人等には、怒号の内容が聞きとれず、ただ「わあわあ」という声が聞えただけで、他にその内容まで聞いたという証拠がないので、球場周辺の他の情報係や警備の警察官にもその内容は判らなかったと推定できることと、裁判所の第一、二回検証調書により明らかなように、右デモ行動は周囲を高い塀で囲まれて外部より隔てられ、警察官が居たと認められない球場内で行なわれたものであること等を総合すれば、これが球場周辺や中署の警察官に対する脅迫になるとは考えられない。又検察官は、同球場外でのデモ行進も脅迫になると主張する。なるほど、受命裁判官の証人吉田国雄に対する尋問調書によると、デモ隊が球場より岩井通りに出る頃、隊列中で「中署へ行け」、「アメリカ村へ行け」という声があったこと、第四百六十三回公判調書中の被告人水野裕之の供述記載、同被告人の検察官に対する第二回及び27・7・22供述調書によると、岩井通りを行進中のデモ隊員のうちプラカードを壊して柄だけにした者がいたこと、第七十九回公判調書中の証人田中国臣、第二百八十一回公判調書中の証人小林甲子雄の各供述記載によると、同証人等は岩井通りのデモ隊の行進を見て、異様に感じ、物凄いと思ったこと等が認められるけれども、前二者が附近住民や警察官に対する脅迫であるとは認められないし、後者によってもこれらの者に対する何かの脅迫行為が行なわれたと考えることはできない。
以上の通りであるから、警察放送車に火焔瓶が投げられる前の大須球場内及び岩井通りにおけるデモ行進は、日常行なわれる平穏なデモに比較すれば少しばかり異様であったかも知れないが、暴行も脅迫も行なわれない単なる無届の集団示威行進に過ぎず、騒擾罪を構成しない。従って被告人等の行為のうち、警察放送車に火焔瓶が投げられる前のデモに参加し、又は関与した行為は罪とならない。
一 被告人安旭鎬に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時十分頃、右暴徒が岩井通り四丁目路上を気勢を挙げつつ東進するに際し、右暴徒の一員としてその隊列の南側において「わっしょ、わっしょ」と声援し、他人に率先して勢を助けた」というのである。然し≪証拠省略≫によると、同被告人は岩井通りを行進するデモ隊の後部の右側を、両手を叩きながら「わっしょ、わっしょ」と叫んで、岩井通り三丁目十六番地明治生命ビル前附近より大須交叉点西南角附近まで進んだけれども、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつける等の暴行が行なわれる前に、同所附近でデモ隊より離れ、右暴行が行なわれて多数が後退してくると、これに押されて門前町通りを南へ逃げたことが認められるので、右被告人には本件騒擾に加わる意思や行動があったとは認められない。
二 被告人石川忠夫に対する公訴事実は、「被告人は、(1)、本件騒擾に際し、大会終了後の午後十時頃大須球場内に於て、暴徒が隊列を組まんとするに当り、右球場内演壇附近で「スクラムを組め」と叫んでその気勢を挙げ、更に暴徒の一員に対し火焔瓶を交附せんとする等の行為をなし、他人に率先して勢を助け、(2)、山田順造外数名と共謀の上、七月六日より翌七日に亘って名古屋市千種区千種通り四丁目十三番地坂野仁一方の被告人の居室に於て、治安を妨げんとする目的を以て、ガソリン、濃硫酸、塩素酸カリ及び空瓶等を使用して爆発物である火焔瓶三十五個位を製造した」というのであって、騒擾及び爆発物取締罰則違反で起訴されたのである。然し大須球場内で暴徒が隊列を組もうとする際、被告人石川忠夫が演壇附近は勿論のこと、その他球場内で、「スクラムを組め」と叫んだことを認めるに足る証拠はなく、訴因中「暴徒の一員に対し火焔瓶を交付せんとする等」は、そのような内心的意思のみを指すのか、外部的提供行為を行なったことをいうのか不明であるが、いずれとするも相手方に交付していないことを指すことは明らかであって、このような行為が騒擾にならないことは多言を要しないし、第二で説明する通り、本件火焔瓶は爆発物でない。なお検察官は第七百五十回公判期日で、被告人石川忠夫に対する昭和二十七年七月二十九日附起訴状公訴事実四行目「火焔瓶を交付」の次に、「し、自らも一個を所持して暴徒の隊列に加わり、スクラムを組みわっしょわっしょと叫びながら岩井通り四丁目八番地附近路上に至るまで行進し」を加入し、次の「せんとする等の行為をなし」を削る、旨の訴因の追加を請求した。然し当時既に起訴後十五年を経過して実質上証拠調を終り、全被告人に対する証拠整理の段階に入っていたため、当裁判所は時機におくれた請求であるとしてこれを却下しておるので、この点については判断をしない。
三 被告人尹永浩に対する公訴事実は、「被告人は右騒擾に際し、前同日午後十時頃右球場内に於て右暴徒に加わりその隊列中央附近に於てスクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで気勢を挙げつつ同所から岩井通り四丁目十番地先附近路上に至る迄行進し他人に率先して勢を助けた」というのである。然し≪証拠省略≫によると、被告人尹永浩は大須球場内でデモ隊に加わり、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通り四丁目八番地空地前附近まで行進したのであるが、同被告人は事前に本件を予想できるようなことを聞いておらず、球場でビラを受取ったけれども文盲で内容を理解できなかったばかりでなく、前夜知人の通夜に参加した上、球場へ入る前に飲酒していたため、球場内では居眠りをして学生のアジ演説を全く聞いておらず、人に誘われて目的も行先も判らないままデモ隊に入ったのであって、前記地点まで行った際、突然多勢の人がワーッという声と共に押しかえしてきたので、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げたことも知らず、びっくりして南へ行く道を逃げたことが認められるので、右被告人には本件騒擾に参加する意思や行動があったとは認められない。
四 被告人尹華俊に対する騒擾の公訴事実は、「被告人は右騒擾に際し、七月七日午後十時頃右球場内に於て右暴徒に加わりその隊列中で「わっしょ、わっしょ」と叫んでその気勢を挙げながら岩井通り四丁目十一番地附近路上に至る迄行進し他人に率先して勢を助けた」というのである。然し≪証拠省略≫によると、被告人尹華俊は大須球場内でデモ隊に参加し、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通り四丁目八番地空地附近まで行進したのであるが、同被告人は球場でビラを受取ったけれども文盲のため内容を理解できず、球場へ入る前に焼酎を飲んだため、酔いが廻って演説中は居眠りをしており、人に呼びかけられて漠然とした気持でデモに入ったのであって、右空地前附近まで行ったとき、「鉄砲を撃った」という声と共に多数が逃げ出したのを見て驚き、デモ隊列より警察放送車に火焔瓶を投げたことも知らず、一生懸命逃げて大須交叉点を南に走ったことが認められるので、右被告人には本件騒擾に加わる意思や行動があったとは認められない。
五 被告人尹鳳俊に対する騒擾の公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午后十時頃右球場内に於て右暴徒に加わりスクラムを組み、「わっしょ、わっしょ」と叫んで気勢を挙げつつ岩井通り三丁目十七番地先路上に至る間を行進し他人に率先して勢を助けた」というのである。≪証拠省略≫によると、被告人尹鳳俊は大須球場内でデモ隊に加わり、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通り四丁目八番地空地前附近まで行進したのであるが、同被告人は事前に本件を予想できるようなことは何も聞いておらず、球場でビラを受取ったけれども文盲のため読むことができず、学生のアジ演説も十分に理解せず、ただ何となくデモは危いと感じたけれども、デモの目的、行先が判らないまま人に誘われてこれに入ったのであり、前記地点まで行った際、突然前方が明るくなると同時に多勢が引返してきたので、大変なことになったと思ったとき押倒され、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げたことも知らず、ほうほうの態で逃げ出したことが認められるので、右被告人には本件騒擾に加わる意思や行動があったとは認められない。
六 被告人加納善生に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日大須球場内に設けられた武装行動指揮所に於て暴徒の行動を有効適切に発揮させるため警察警備力及びその配置移動等の状況に関する情報を入手し、情勢判断竝びに暴徒指揮の任務を担当し他人を指揮した」というのである。然し≪証拠省略≫によれば、被告人加納善生は同日午後十時少し前頃同球場三塁側外野席附近で、被告人安藤宏から春日神社境内の警官隊の集結状況、アメリカ村周辺、伏見通り等の警察官の動向に関する報告を受け、別院の方はどうかと尋ねたこと等が認められるだけである。もっとも、同被告人がこのような報告を受けたならば、これを現地指導部の誰かに伝えたかもしれないことは想像できるけれども、これを確認する証拠はない。そして被告人安藤宏から右のように報告を受けたことだけでは他人を指揮したことにならないし、その他情勢判断や暴徒指揮の任務を誰かと分担したとか、或は現地指導部の一員であったとか、或は誰かを指揮し又は誰かに指示を与えたという事実を認めるに足る証拠はない。
七 被告人河命順に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時頃岩井通り三丁目十六番地先路上で右暴徒の隊列に加わりスクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで気勢を挙げつつ同所より岩井通り四丁目十番地先路上に至る迄行進し、他人に率先して勢を助けた」というのである。なるほど≪証拠省略≫によると、同被告人は岩井通りを行進するデモ隊の後部に、岩井通り三丁目十六番地明治生命ビルやや東附近で加わり、スクラムを組みながら行進したのであるが、同被告人は事前に本件を予想できるような話を聞いておらず、球場内で「中署へ行け」という声を聞いたけれども、何をするであろうかということには思い至らず、他人に誘われるままデモ隊に加わって行進したのであって、行進中突然前からドッと人が押しかえされてきて、前方に青い火が燃えているのが見えたので、デモ隊が警官隊と衝突して何かに火をつけたのかも知れない、これは大変だと考えて、直ちにデモ隊列を離れて南側歩道に走り逃げたことが認められるので、右被告人には本件騒擾に加わる意思や行動があったとは認められない。
八 被告人金道弘に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時頃右暴徒が隊列を組み右球場正門を出ようとするに当りその隊列に加わり、暴徒の一員として気勢を挙げつつ岩井通り四丁目十二番地先附近路上に至るまで行進し他人に率先して勢を助けた」というのである。然し≪証拠省略≫によれば、右被告人は判示のように球場内でデモ隊列が組まれて行進が開始されたのを見て、これらの者が中署又はアメリカ村へ行って乱暴するのではないかと考えたけれども、被告人自身はそのような乱暴に参加する意思を持たず、デモ隊がスクラムを組んで球場から出て行くのにつられて、その後からそこに残っていた聴衆と共に、面白半分にワイワイ騒ぎながら岩井通りを東進して大須交叉点附近まで行った際、判示のような火焔瓶の発火を見て、とうとう始めたなと思い、びっくりして逃げ出したことが認められるのであって、右被告人に本件騒擾に加わる意思や行動があったと認めることができない。
九 被告人竹中正典に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時頃、大須球場で暴徒がデモ隊列を組もうとするに当り、「スクラムを組め」と叫びつつ聴衆の間を駈けまわり、他人に率先してその勢を助けた」というのである。なるほど、≪証拠省略≫によれば、大須球場でデモ隊列が組まれようとする際、被告人が多数と共に「スクラムを組め」、と言って走り廻ったことが認められるが、このことから集団示威行進を組成推進しようとした意思や行動を認めることができても、後に行なわれるかも知れない暴行脅迫を直接には勿論のこと、間接にも意図し又は推進したと認めることはできないので、右行為は冒頭に説明した通り騒擾罪を構成しないし、後に行なわれた本件騒擾の率先助勢と認めることもできない。
十 被告人張二京に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時頃右球場内に於て右暴徒に加わり、スクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで気勢を挙げつつ岩井通り三丁目十七番地路上に至る間を行進し、他人に率先して勢を助けた」というのである。然し≪証拠省略≫によると、被告人張二京は大須球場内でデモ隊に加わり、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通り四丁目八番地空地前附近まで行進したのであるが、事前に本件を予想できるようなことを聞いておらず、球場でビラを受取ったが文盲で内容を理解できなかったばかりでなく、前夜知人の通夜に参加した上、同日行なわれた葬式後酒を飲んだため、球場では酔いを発して居眠りをしていて、学生のアジ演説を聞いておらず、目的も行先も判らないままデモに入ったのであって、前記地点まで行った際、突然前方が明るくなったと感ずると同時に多勢がワーッと押しかえしてきたので、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げたことも知らずに、これは大変なことになったと思って直ちに逃げたのであって、その後同夜は鶴舞公園で野宿し、翌八日朝東郊通り巡査派出所前を通りかかって、立番中の警察官に自宅への帰り道を尋ねたため、そこで逮捕されたこと等が認められるので、右被告人には本件騒擾に加わる意思や行動があったとは認められない。
十一 被告人鄭金石に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午后十時頃右球場内に於て右暴徒に加わりその隊列中にあってスクラムを組み「わっしょ、わっしょ」と叫んで気勢を挙げつつ岩井通り三丁目十六番地先附近路上に至る迄行進し他人に率先して勢を助けた」というのである。≪証拠省略≫によると、被告人鄭金石は大須球場内でデモ隊に加わり、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通り四丁目八番地空地前附近まで行進したのであるが、被告人は右デモ隊に加わるとき、六月頃名古屋で騒ぎがあり、最近は大阪でも朝鮮人が警官隊と衝突したことがあるので、このデモもひょっとしたら危いのではないかという程度のことを一寸感じたようであるが、事前に本件を予想できるような話を聞いておらず、球場へ入る前に酒を飲んでいたため、球場内では居眠りをしていて学生のアジ演説を全く聞いておらず、目が醒めたときはすでにデモが始まっていて、人に言われてやむなくこれに加入し、前記空地前附近まで行った際、前からドッと押しかえされてきたので、東の方を見ると何か燃えているのに気がつき、これは大変だと思って直ちに西方へ逃げ走ったことが認められるので、被告人に本件騒擾に加わる意思や行動があったとは認められない。
十二 被告人田参竜に対する騒擾の公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時頃右球場内に於て右暴徒に加わりスクラムを組みその隊列の中にあって岩井通り四丁目十一番地先附近路上に至るまで「わっしょ、わっしょ」と気勢を挙げつつ行進し他人に率先して勢を助けた」というのである。≪証拠省略≫によると、被告人田参竜は大須球場内でデモ隊に加わり、「わっしょ、わっしょ」と叫んで岩井通り四丁目八番地空地附近まで行進したこと、デモ隊に入る前に、デモは警察に押しかけるのではないかと感じていたことが認められるけれども、デモには他人に言われて入ったのであって、事前に本件を予想できるような話は聞いておらず、前記地点まで行進したとき、突然前方の警察放送車が発火したのを見て驚き、なお行進を続けるデモ隊を後にして直ちに西方へ逃げ走ったことが認められるので、被告人には本件騒擾に加わる意思や行動があったとは認められない。
十三 被告人田石万に対する騒擾の公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時十分頃大須電停附近において暴徒の一員としてその隊列先頭右側に位置し「わっしょ、わっしょ」と叫びながら気勢を挙げつつその行進を誘導し以て騒擾の現場において他人を指揮した」というのである。なるほど≪証拠省略≫には、警察で申し上げた通りであるとの記載がある一方で、デモ隊先頭の左右で両手を上下に振り調子をつけてきた二人のうち、左の人は背が高く右の人は背が低かったが、この二人の人が自分の家の近くを通って行った。背の高い人は被告人崔且甲で背の低い人は被告人田石万であるとの記載がある。然し≪証拠省略≫には、デモ隊先頭の左には被告人崔且甲がいたが、その後墓場の方から来た二人連れの背の高い方は被告人崔且甲で低い方は被告人田石万であるとの記載があるだけで、被告人田石万がデモ隊の先頭附近にいたとの記載はなく、≪証拠省略≫には、デモ隊の先頭にいて手を上下に振っていたのは一人で、それは被告人崔且甲であり、二人がいた覚えはないが、その後家の前を通った二人は同被告人と被告人田石万であるとの記載がある。二通の検察官調書だけに、デモ隊の先頭に被告人崔且甲と同田石万がいたと記載されている理由が判らないが、梶田きくの供述の経過と内容に徴し、検察官調書の証明力が他の各証拠の証明力より高いと考えることはできないので被告人田石万がデモ隊の先頭右側にいたと認めることはできない。そして他に本件公訴事実を認めるに足る証拠はない。
十四 被告人百々大吉に対する公訴事実は、「被告人は電報局の職員であるが、外数名と共に同年六月三十日頃及び七月六日頃の二回に亘り、名古屋市千種区千種通り四丁目十三番地坂野仁一方石川忠夫居室において、電報局職員がデモの中核となること、武器として火焔瓶及びプラカードを携行して行くこと、火焔瓶は同職員各自携行せしめて現場においてこれを投擲せしめること、同志を獲得してデモに参加せしめること等を協議決定した際、被告人はプラカードには釘を沢山打った方が効果的であり、火焔瓶は大きいものより小さい方が巡査の鉄帽に当って破裂し易いから大きいものより小さい方がよい云々と進言して、これに基づき七月七日午後十時十五分頃岩井通り四丁目七番地先路上附近において実行担当者数名をして同所北側路上に位置した警察放送車に対し治安を妨げ又は人の身体、生命、財産を害する目的を以て爆発物である火焔瓶数個を投擲せしめ他人に率先して勢を助けた」というのであって、騒擾及び爆発物取締罰則違反で起訴されたのである。然し第一章第一節第二款第七の一で認定した通り、同被告人は七月六日被告人石川忠夫の居室で行なわれた名電報細胞指導部会議に出席して、翌七日大須球場における講演会終了後に予定されたデモ隊の具体的行動に関し協議決定した際、「プラカードには釘を沢山打った方が効果的だ、火焔瓶は小さい方が巡査の鉄帽に当って破裂し易いからよい」、と進言したことが認められるだけである。騒擾の右のような準備段階における謀議関与行為については、指導的役割を演じたものが首魁又は指揮の責任を負うべきであるけれども、それ以外の者には騒擾罪は成立しないと解すべきであって、被告人の右会合における言動は、協議に参加して意見を述べたにすぎず、指導的役割を演じたものとは認められないし、火焔瓶についても右認定のように進言したに止まり、且つ本件火焔瓶は第二で説明するように爆発物ではないので、これをもって現場に赴いた者達をして警察放送車に火焔瓶を投擲させたとして、騒擾及び爆発物使用の責任を負わせることはできない。
十五 被告人中島達哉に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時頃右球場内に設置された演壇に於てマイクを通じ聴衆に対し「この球場を三千五百の警官が取り巻いている、われわれに対する弾圧だ」等と絶叫し、これに応じた聴衆が暴徒と化してスクラムを組んで隊列を形成し始めるや自分も右隊列の先頭附近に加わってスクラムを組み他人に率先して勢を助けた」というのである。然し≪証拠省略≫によれば、同被告人はデモ列隊が半分位大須球場正門から出た頃同球場北門から岩井通りに出、同通り南側歩道を東進して大須交叉点西南角から東北角に移った頃、群衆が東から西へ押しかえされて来て、これと共に門前町通りを北へ行ったことと、同日午後十時半頃被告人竹中正典と共に、同市中区門前町五丁目六十四番地山田つね方へ拡声器を預けたことが認められるだけで、公訴事実を認めるに足る証拠はなく、被告人が着用していたシャツの背下部から硫酸イオンが検出されたけれども(木村駿蔵外三名作成の被告人中島達哉のシャツの鑑定書)、このことは被告人が火焔瓶の薬液が飛散した附近にいたことを推認させるだけに過ぎない。
十六 被告人深谷宜三に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時二十分頃岩井通り四丁目四番地先路上において暴徒の一員として暴徒と共に同所附近を徐行東進しつつあった警察用放送車前面に立ち塞がって気勢を挙げ他人に率先して勢を助けた」というのである。然し≪証拠省略≫によると、被告人深谷宜三は七月七日外数十名と共に挙母から貸切バスで大須球場に赴いて同夜の講演を聞き、「中署え行け、アメリカ村え行け、武器は石ころだ」等の記載のあるビラを見、講演終了後の学生のアジ演説を聞いた後、行進を始めたデモ隊の後部について岩井通りへ出て、群衆と共に同通り北側歩道を放送車と並行して東進したが、同通り四丁目四番地附近で歩道の群衆を避けて放送車の左前方約三米附近の車道に一、二歩踏出した時、南方より放送車に火焔瓶が投込まれて車内で発火し、車道上にも火焔瓶が破裂して燃えるという情況に遭遇したので、危険を感じて直ちに西方に逃避したことが認められる。被告人深谷宜三のズボン、下駄に硫酸反応があるのは(木村駿蔵作成の被告人深谷宜三のズボン、下駄の鑑別結果報告書)この時の火焔瓶の内容液の飛沫が付着したものと考えられる。もっとも、≪証拠省略≫には、放送車に火焔瓶が投込まれる直前にデモ隊が南から放送車に近寄り、同時に北側歩道からも数名乃至十名の者が車道に走り出て、その内数名が放送車の前に立塞がった際、南方から車内に火焔瓶が投込まれた旨の記載があるのであるが、同人は北側歩道から走り出た者を特定できないので、その中に右被告人がいたことを確認できないばかりでなく、数名乃至十名が車道に走り出たという事実に、右両名の衣類等に火焔瓶の内容液が付着していたという事実と、前記各公判調書中の被告人両名の供述記載や被告人深谷宜三の検察官調書を比照総合しても、放送車前に走り出た者の中に被告人がいたことを認定することはできない。さらに、右被告人の意思について考えると、同被告人は前記ビラ及び学生の演説等により、中署へ抗議することを一つの目的としてデモ隊が組まれたことを認識していたことは認められるけれども、前記の通りデモ隊とは全く別の行動を取っていたのであるから、自らはその抗議に参加する意思があったとは考え難いばかりでなく、本件の事前の計画等に介入したことも認められない同被告人が、放送車が攻撃される直前に、これを攻撃しようとする者達と突嗟に意思を連絡して、その攻撃のために放送車の前に立塞がるような行動に出たということは考えられない。
十七 被告人森川美光に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時頃大須球場に於て暴徒がデモ隊列を組まんとするに当りその隊列の傍にあってこれに拍手を送りその志気を鼓舞し率先してその勢を助けた」というのである。然し≪証拠省略≫によれば、被告人は大須球場内でデモ隊列が組まれて行進を開始し、喚声を挙げて威勢よくグラウンド上を行進するのに対して、バックネット寄り一塁側スタンド上で、附近にいた者等と共に数回拍手声援(言葉の内容は不明)したことが認められるだけであって、これは冒頭に説明した通り騒擾罪を構成しないデモ行進に拍手声援しただけであるから、罪とならないし、また後に行なわれた騒擾の率先助勢になるとも考えられない。
十八 被告人山田信也に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時過頃デモ隊列が気勢を挙げつつ岩井通り大須電停南側車道上を東進するに当り右隊列の傍にありプラカードを所持して気勢をあげもって率先して右騒擾の勢を助けた」というのである。然し≪証拠省略≫によれば、被告人山田信也は大須交叉点の少し西方において、東進するデモ隊列の南側で所携のプラカードを壊して柄だけにしたことを認めることができるが、その他の行動は全く不明であって、右プラカードを壊したことが脅迫にならないことは言うまでもなく、又その所為やプラカードを持っていた事実が、その後に行なわれた本件騒擾の率先助勢と認めることもできない。
十九 被告人吉川昇に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時二十分頃暴徒の一員として岩井通り四丁目四番地先附近北側軌道上附近において、「やっつけろ」等と怒号して気勢を挙げ他人に率先して勢を助けた」というのである。然し≪証拠省略≫によれば、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げ発火させる等の暴行が行なわれた直後、同放送車の西方約八米附近で、「わあ、わあ」と喚声を挙げ「ざまをみろ」、「やっつけろ」、「やった」等と叫んでいたデモ隊の一部と思われる者達のなかを、被告人が西北に向い歩いていたこと、それよりしばらくの後、片足は草履をはき、片足は裸足で落ち付かない様子でキョロキョロしながら本町通りを北上し、途中右折して万松寺通りを東へ歩いて行ったことが認められるだけであって、被告人が「やっつけろ」等と叫んだことを認めるに足る証拠はなく、被告人が右のように叫ぶ者達のなかに居たからといって、被告人も同じく「やっつけろ」と叫んだと認めることもできないし、又被告人がそのように叫ぶ者達のなかに在っただけでは率先助勢にはならない。むしろ被告人は無届の集団示威行進に参加し、警察放送車に対する前記暴行が行なわれたのを知りながら、なおかつこれに加わって騒擾に附和随行したのではないかとの疑がないでもないが、被告人の前記行動からはこれを認定することができない。
二十 被告人李日碩に対する騒擾の公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時頃大須球場内に於て暴徒に加わり「わっしょ、わっしょ」と気勢を挙げつつその隊列先頭附近にあって岩井通り大須電停附近まで行進し、他人に率先して勢を助けた」というのである。然し≪証拠省略≫によると、判示のように球場内でデモ隊列が組まれて行進が開始された際、被告人李日碩はこの者達が中署へ押しかけて前日逮捕された者を釈放するよう交渉し、交渉がうまく行かなければ口論となり、いざこざが起るかも知れないという程度の認識を持ってはいたが、行動を共にする考えはなく、ただ、もしデモ隊と警官隊とが衝突することがあるならば、その現場を見たいという意図で、デモ隊の最後尾の後について、スクラムを組むとか、「わっしょ、わっしょ」叫ぶとかすることなく、球場を出て岩井通りを東進し、大須交叉点の西南角附近車道上に達したとき、火焔瓶による発火や警察官の拳銃発射を見聞して逃げたものであって、火焔瓶発火の前後を問わずデモ隊に加わる意思を持っていたことを認め難い。特にこの意思の点については同被告人の前掲第三回供述調書中の、「私はこんな大きな衝突等が起るとは思いませんでした、こんな事になるのであったらデモ隊の後についてそれに参加するようなことは(註、同被告人の前掲第二回供述調書中に「私はワッショワッショとも云わず、又スクラムを組まないで、そのデモの後に続いて行っただけでありますが、その意味においてデモ隊の後尾に加わったことは間違いありません」との記載があり、これを受けてここに「デモ隊に参加し」たとの記載になったと考えられるが、右供述調書の記載を熟読すれば、客観的事実は飽くまでデモ隊の後について行ったことであって、この参加という言葉によって直ちに同被告人が本件犯行に加担する意思があったと考えることはできない)しなかった訳です。結局私は一寸位は警官といざこざがある程度位しか考えなかったのです」との供述記載によっても明らかである。なお(1)、被告人丁一南の検察官に対する27・7・16供述調書中に、「木村(被告人李日碩のこと)の坐っていた処が先頭となってスクラムが組まれたので、木村はその辺でスクラムを組んで入ったようである」との供述記載があり、又(2)、右供述調書及び同被告人の検察官に対する27・7・24供述調書中には、「清水(被告人金仁祚のこと)、木村、安藤の三人と一緒に歩いているとき、清水と木村が、デモをやっているうちに自動車三台燃えそのうちに警官がピストル十発程発射し恐ろしくなって逃げて来たと話したので、二人が現場から電車通りまでスクラムを組んでデモ行進をし、警官のピストル発射で自分と同じ様に恐ろしくなって逃げて来たのだと思った」旨の供述記載があるけれども、(1)の後段は想像にわたるものであり、(2)は被告人李日碩、同金仁祚の当公判廷における供述中に之に照応するものがなく、同被告人等の検察官に対する供述調書中にも之に類する供述記載がないので、被告人丁一南の右供述記載中、被告人李日碩に関する部分は信用し難いばかりでなく、(1)、(2)とも前掲同被告人の供述調書に照らして事実に副わないと考える。
二十一 被告人李文星に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時頃大須球場内に於て右暴徒の隊列に加わりプラカードを押立てて「わっしょ、わっしょ」と気勢を挙げつつ岩井通り四丁目十一番地附近路上迄行進し他人に率先して勢を助けた」というのである。然し≪証拠省略≫によると、被告人李文星は昭和二十七年七月七日夕刻頃、民愛青名東支部からプラカード二本位(記載文字は不明)を持って、妻李相順及び被告人金甲仙と共に大須球場に赴き、同球場内でデモ隊列が組まれて行進が開始されると、デモ隊の後について球場を出て岩井通り南側車道上を暫らく東進した後、間もなく南側の歩道に上り、同通り四丁目八番地空地前附近まで行った頃、火焔瓶の発火やデモ隊が崩れて後退するのを見て、直ちに右空地に逃込んだことが認められるだけであるので、被告人に本件騒擾に加わる意思や行動があったとは認められない。
以上の通りであるから、被告人安旭鎬、≪以下被告人名二〇名省略≫に対しては(被告人尹華俊、≪以下四名省略≫の外国人登録法違反の点を除き)刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をする。
第二 別紙爆発物取締罰則違反事実一覧表記載の各被告人は、同表記載の通り同罰則違反で起訴されておるが、爆発物であるとされている本件の火焔瓶は、≪証拠省略≫によると、いずれも硝子瓶に濃硫酸とガソリンを前者一、後者二から四の割合で入れて密封し、瓶の外側に少量の塩素酸カリウムを塗った紙片を貼付して造られたもので、これを路面等に投げて瓶を破壊すると、塩素酸カリウムと濃硫酸が接触化合して化学反応を起して爆発的分解による発火が起り、ガソリンに引火して燃焼作用が生ずるものであるが、塩素酸カリウムと濃硫酸の接触による化学的爆発は、塩素酸カリウムが少量であるため直接に物を破壊する力がないこと、及びその燃焼作用は燃焼の程度、範囲、時間においてガソリンにマッチで点火したと同一であることが認められる。然るに爆発物取締罰則の爆発物は、理化学上の爆発現象を惹き起すような不安定な平衡状態において薬品その他の物が結合した物体で、その爆発作用そのものによって公共の安全を乱し、又は人の身体、財産を傷害、損壊するのに十分な破壊力を有するものでなければならないのであるから、右火焔瓶は同罰則にいわゆる爆発物には該当しないことが明らかで、別紙記載の被告人等はこの点についていずれも無罪であるから、被告人南相万、≪被告人名一三名省略≫に対してはこの点につき刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をなし、被告人金炳根、≪以下四名省略≫は判示各放火未遂の所為と、被告人趙顕好、≪以下八名省略≫は判示各暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の所為と、被告人李聖一は判示暴力行為等処罰ニ関スル法律違反及び判示騒擾の所為と、その余の被告人等は判示各騒擾の所為と、それぞれ一個の行為で数個の罪名に触れる場合として起訴されたものであるから、いずれも主文において無罪の言渡をしない。
第三 検察官は東税務署及び鶴舞公園内駐留軍自動車に対する攻撃について騒擾罪が成立するとして起訴している。然しながら前者が六名、後者が十余名により行なわれたに過ぎないこと、対象物が前者が一個の建物、後者が五台の自動車であること、被害と附近住民に対して与えた影響が軽微であること等に照して、それぞれが独立して騒擾罪にならないことは明らかである。
次に右各攻撃は岩井通り附近一帯で行なわれた本件騒擾罪と一体をなしたものとして騒擾罪になるかを考えると、右両者は、これを計画した者においては、中署、アメリカ村を攻撃し易くするために、警察の警備力を分散させる目的をもって計画し、これを実行した者においては、右と同趣旨又は大須方面でのデモを行ない易くするために、警察の警備力を分散させる目的をもって実行したのであるが、その攻撃の時間はいずれも岩井通り附近一帯における騒擾状態の発生時より一時間余り早く、大須球場よりの距離は、検察官の主張によれば、東税務署は東北方に約三・五粁、市公会堂は東方に約一・五粁あって、本件騒擾とは時間的に間隔があり、場所的に距離があること、その被害は前記の通り軽少であること、右攻撃の結果、東税務署に出向いた警察官は≪証拠省略≫によれば、東署に待機していたうちの数名に過ぎず、市公会堂方面に出動した警察官は、≪証拠省略≫によれば、中署に待機していた上田警部補を長とする一個小隊約三十名と、昭和署で待機していた数名であって、これにより警備計画の実施に影響があったとは認められないこと、又右攻撃は大須球場内に参集していた者達にとっては直接に見聞し得なかったばかりでなく、岩井通り附近一帯において本件騒擾に参加した者のうち、右両者に対して攻撃が行なわれるだろうと予想していた者は、本件騒擾の事前の計画に参画していた極く少数に過ぎず、更に右騒擾参加者は東税務署が攻撃されたことについては殆んど全員が未だこれを知らず、鶴舞公園の駐留軍自動車が攻撃されたことについては、その攻撃をして後右騒擾に参加した被告人金英吾等四名、及び≪証拠省略≫により、同被告人より右攻撃の報告を受けたと認められる被告人金泰杏のほか、僅少の人数を除いては、果して何名がこれを知っていたか疑わしいこと等、以上の諸事実に照し、東税務署と駐留軍自動車に対する攻撃が本件騒擾の勢を助長するのに与って力があったとは認められない。
従って(甲)、被告人金炳根、同安俊鎬、同李院承、同鄭恢、同鄭再恢、同全正守、(乙)、同李炳元、同金英吾、同安日秀、同趙顕好、同朴泰俊、同稲垣泰男、同安時煥、同趙在奎、同崔永権、同李聖一に対する騒擾の公訴事実(但し被告人金炳根は東税務署の攻撃に関する事実に限る)は罪とならないが、右騒擾の起訴は、(甲)の被告人等については判示放火未遂の罪と、(乙)の被告人等については判示暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪と、一所為数法の関係にあるとして起訴されたものである(但し被告人金炳根については同時に判示附和随行の罪と一罪として起訴されたものでもある)から、主文において無罪の言渡をしない。
(裁判長判事 井上正弘 判事 平谷新五 判事 中原守)
<以下省略>